10.




 イル村さんはぼっちゃまの部屋に入り、右に左にうろうろうろうろしたあとで、ベッドにばいんと腰を下ろし、腕を組んで首をかしげた。
 ぼっちゃまは塾には通っていない。友達と遊ぶなんてこともイル村さんが来てからこっち聞いたことがない。そもそも友達がいないのかもしれないと思うとイル村さんはくうっと目頭が熱くなる。
 一人であったとしても、ゲームセンターなどによって遊ぶよりも、家でごろごろと寝ることに喜びを見出すぼっちゃまが。
 そんなぼっちゃまが、冬の日に、七時を過ぎても帰宅しないとは、いかなることか?
 もしや、とイル村さんは恐ろしい考えに飛び上がる。
「家出……!?」
 いやいやいやいやと、イル村さんは再びベッドに腰を押し付けて前ビレを振る。
 この家はぼっちゃまの家であるからして、家出をする必要はない。全く、これっぽっちも、ない。家出をするくらいなら、イル村さんをたたき出すだろう。
 考えても考えても、イル村さんの脳裏には全く何も浮かばない。
「まあ、そのうち、帰って来るかな」
 うんうんと頷いて、きゅわあと大きく伸びをしたイル村さんは、明日のパーティーに思いを馳せつつぼっちゃまのベッドにごろりと転がり、そのままうとうととして、眠ってしまった。

「ぎゃわっ!」
 痛みに飛び上がり問答無用の覚醒を促されたイル村さんは、ベッドから転がり落ちていた。
「ちょっ、パックン! 血、血がでましたよ! ひどいっ。いくらなんでもひどすぎる!」
 涙目で訴えかけるイル村さんにパックンは前足で張り手をくらわせた。
「こんなところで暢気に寝ておる場合かあああ! カカシが、カカシがおらんではないかあ!」
「そうですよ! まだ帰ってませんよ! ぼっちゃまだってきっとたまには外で気晴らし、を……」
 イル村さんの目は目覚まし時計をとらえていた。そして、目がてんになる。
 うっかり眠ってしまって、早や、十時を過ぎている。二者面談のことを考えて最近寝不足だったことがたたったようだ。
「……ぼっちゃま、帰ってないんですか?」
「帰っておらん。おまえさんも知っておるじゃろうが。カカシは家でぬくぬくと寝ることがなによりも好きな奴じゃぞ? それがこんな時間まで帰らぬとは、何かあったに決まっておる! 大蛇丸が動いたとしか思えん!」
「きゅわああああ!」
 さすがのイル村さんも口を大きく開けて前ビレを頬に当てて目を大きく見開いた。
「ぼぼぼっぼっ、ぼっ、ちゃまは、ど、どどど、どこにつーれさられたんでしょうか!?」
「それがわかっておれば苦労せんわ」
 パックンに一喝されてイル村さんはきゅわーきゅわーと大慌てだ。
「どうしましょう? どうしましょう? どうしたらいいんだああああ!」
「とにかく落ち着け!」
「おおお落ち着けるわけないでしょうが! ぼっちゃまがどんな目に合っているか、もう、俺の想像を超えてますっ。あの変態おじさんかなりやばい感じでしたよ?」
「わかっておる。だから考えておる。この町でカカシが監禁されそうな場所を」
「かんきん!? かんきんってなんですか!? かんきつ類の友達じゃないですよね? ねえ!」
「うるさいわっ」
 パックンはもう一度ブチ切れて、イル村さんの振り回される前ビレに噛みついた。
「ぎゅわっ」
 のけぞって、痛みにイル村さんは正気を取り戻す。
 はあはあと荒い息を整えて、すーはーと繰り返して、パックンをきっと見つめた。
「他の犬たちがすでにカカシの匂いを追っているが」
「俺はどうしたらいいですか?」
 パックンは考え込む。こうしている間にもぼっちゃまに危機が迫っているかと思うとイル村さんは気が気ではない。
「パックン!」
「……集会の途中から、なんとなく気にはなっておった。カカシの匂いが希薄になっていったのじゃ」
「は? それってどういうことですか?」
「わしを含め他の犬たちにはカカシの匂い、気配が沁みついておる。意識せずともカカシの存在を感じることができるのじゃが、それが薄くなって、集会を抜け出してきたのじゃ」
「存在が薄くなるう!? それって!」
 イル村さんはがくがくぶるぶると体が震える。
「早合点するでない。あくまでもわしらの嗅覚に引っかからなくなったというだけじゃからして……」
「パックン! もう、さっさと指示だしてくださいよさっさと!」
「だから考えておるのじゃろうが! せかすでないっ」
 温厚なパックンも切れるほどに、部屋の中の空気は張りつめていた。
「俺は、俺はどこを探せばいいんですかあ!」
 さすがにイル村さんもやみくもに探している場合ではないことくらいわかる。
 気持ちが焦り、ばいんばいんとその場でジャンプして血走ったまなこでパックンを睨み付ければ、パックンの耳がぶわっと浮いて、わうっと一声吠えた。
「海じゃ! 海辺を探すのじゃ。あんたの得意分野じゃろう!」
 パックンは必死の形相でイル村さんを見た。
「カカシの匂いが薄れたのは海に連れ去られたからかもしれん。その可能性が高い!」
 イル村さんはかっと限界まで目を見開いた。
「アイアイサー!」
 イル村さんはフルスロットルでばびゅんと駆けだした。




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