センセーは上忍 前編







 4人の上忍の中で一人カカシだけが猫背で気怠そうに茫洋としていた。
 上忍の中でリーダー格の、イルカから見れば父親くらいの年代の男が一通りのことを述べ、他の上忍ひとりひとりに自己紹介をさせる。最後にそっけなく名を名乗っただけのカカシは、やる気がなさそうに欠伸をする始末だった。
 解散を命じられたイルカを含めた12名の新米中忍たち。
 イルカの右隣に並んだ年下の友人は、大袈裟にため息をついた。
「せっかく期待してたのに、写輪眼ってなんかやる気ない感じしたな」
「だよなー。ほんとあれがビンゴブックに載ってる上忍なのかなあ」
 左に並んだ友人も同意する。二人は同じタイミングでイルカに視線を向けた。
「イルカははたけカカシが上忍師だったことあるんだろ? ほんとのところ、どうよ。やっぱすげえ忍なのか?」
「確かに学んだ時期はあるけどさ、大きな任務についたわけでもないし、よくわかんないな」
「そっかあ。結構噂って一人歩きするからな。そのくちかなあ」
「いや、それはないと思う」
 イルカはきっぱり否定していた。よくわからないと言っておきながら、カカシは間違いなく力のある忍だと確信している。
「伊達や酔狂でビンゴブックには載らないだろ。能ある鷹は爪を隠すってことだと思うけどな」
「ふうん。てかイルカってオヤジくせえ。ことわざとかやめてくれー」
 そのまま軽口をたたきながら歩く。
 イルカたち中忍になって半年に満たない新人たちで構成された12名は、上忍から直接的な指導を受ける合宿に入っていた。
 里が安定していることもあり、将来的なことを見据えて火影の提案で開催されることになった。
 期間は1週間。里の郊外、広い敷地を有した由緒正しい寺を借りての合宿だ。初歩的な忍術はもとより、実践的な作戦立案、いくさ場での布陣、最後には上忍を相手に実戦さながらの模擬任務も用意されていた。
 イルカはまさか自分にまで声がかかるとは思っていなかった。もっと早くに中忍になった者たちが受ける訓練だと思っていたのだ。だが火影から呼び出され、合宿に参加するようにと命じられた。
「カカシセンセーも、教官なんですか」
「なんじゃ。不服か」
 面白そうに問いかける火影がイルカには不思議だった。
「火影さまは、俺とカカシセンセーのこと、反対してましたよね」
「無論じゃ。わしの目が黒いうちは許さんからな」
「なら、どうして」
「なにを言っておるのじゃ。それとこれとは話が違う。これはあくまでも訓練じゃからな」
 火影は大いばりで以前の公私混同などなかったことのように言う。
 イルカはそっと目を伏せる。正直、カカシにどんな顔をして会えばいいのかわからない。
 久しぶりに会ったカカシに屈辱を受けた。カカシはどこかうつろで、イルカが知っているカカシではないような感じがした。イルカのケガを労るようでいて、厳しい言葉も投げつけられ、いったいカカシはなにがしたかったのかわからずに、自宅に戻ってから少しだけ涙がにじんだ。
 あの時カカシは、イルカに暴力をふるった上忍を半殺しにしたと言った。その後確かめてみればあの上忍は何者かに襲撃を受けて半殺しの目にあったという。犯人はわからず仕舞い。
 あれからカカシには会っていない。イルカに避ける気持ちがあるのはもちろんだが、カカシの方も避けているということだ。久しぶりに会ったナルトに聞けば、上忍師と個別の任務とで里に常駐しているということだから。
 夏に一方的な別れを告げたことを怒っているのだろうか。正直イルカは初めての中忍としての任務で気が張って、カカシとのことを考える余裕がなかった。きっと時が経てば笑って話せるのだろうとぼんやりと思うくらいだった。
 カカシは、違ったということなのだろうか。
 言いたいことがあるならはっきり言えばいい。それを、わけがわからない行動でこっちの気持ちを乱すだけ乱して、姿も現さないなんて。
 カカシに会いたくはない。だがカカシからイルカに会いに来て、いいわけなり謝罪なりをするべきではないかと思うのだ。
「……カカシセンセーじゃ、訓練にならないと思います。あの人、俺のこと好きだから、厳しくできないですよ」
 あの時のことを思いだし剣呑な声になる。昼間に外であんな行為におよばれるなど、イルカの常識の範疇を超えていた。
「それは考え違いじゃ」
 憤るイルカに火影は冷静に返してきた。
「カカシは上忍じゃ。上忍は心技体を兼ね備えた者しかなれぬ。その上カカシは暗部の一線で動いていた忍だ。それがどれほどのことなのかイルカにはまだわからぬようじゃな」
「でも、カカシセンセーは俺に……!」
 しかし続く言葉がでてこない。
 されたことを火影に言えるわけがなかった。
「なんじゃ? なにかあったのか?」
「いえ、あの、俺のこと、殴った上忍を」
「なにを言っておる。その件にカカシは関係なかろう。もともと恨みを買うようなことをしでかしていたのが災いを招いてしまった。犯人も捕まらぬ。その件は終わった事じゃ」
 微妙に視線を逸らす火影にイルカは疑いの眼差しを向ける。火影も一枚かんでいるのかと疑いたくもなる。だがそんなイルカの気持ちをかわすように、とにかくじゃ、と火影はわざとらしい咳払いをした。
「あまり上忍を見くびるでない。しっかり学んでくるのじゃ」
 そんな一言で送り込まれたのだ。
 里での顔合わせの時からカカシはイルカと一度も目を合わせない。まあじっと見られたほうが困ったことだろう。だからイルカは成り行きにまかせて、とにかく今は少しでも忍者として成長を遂げることを目標に合宿にやってきたのだった。



 うみの、と声をかけられた時、一瞬だが誰のことを呼んでいるのかわからなかった。他ならぬカカシの声で呼ばれたから。
 カカシにうみの、と呼ばれていたのは、いつのことか。出会って間もない頃はそう呼ばれていた。そんなに昔のことではないのにとても遠い過去のように感じる。
 胸の中で呼吸を数えて、跳ねそうになる鼓動を押さえつける。すっと息を吐いた。
 洗濯物を干していた手を止めて振り向いてカカシと相対する。意識したくないのだが、緊張で体が硬くなるのがわかる。羞恥と恐怖と快楽がないまぜになったあの昼間の記憶はまだ生々しかった。
 真っ直ぐにカカシの目を見ることができない。カカシもイルカのことを見ていない。互いに視線が絡まない。
「なんでしょうか」
 幾分かたい声で返せば、視界の隅でカカシは跳ね放題の頭をかきながら、喋りだした。
「うみのが中忍たちの中で一番年が上でそこそこキャリアも積んでいるから他の中忍たちに気を配ってやってほしいんだけど」
 何を言われるのかと身構えたが一気に肩の力が抜ける。
「そんなことでしたら、俺でよければ」
「これは上忍みんなの総意だから。そんなことって言うけど、まだまだアカデミー生みたいな二人は特に注意してやってほしい。あいつらへたに実力があるから、まだ心がそれについていっていない。訓練中に騒動なんて起こしたら、連帯責任になる可能性もあるから」
 カカシが口にした二人はなりものいりで中忍になった二人だ。まだ10才だと聞いた。アカデミーもスキップして、下忍としての時期も数ヶ月。そして間違いなく実力で中忍になったのだ。
 確かにその二人は子供としての面が悪く作用しているとイルカも感じていた。尊大で、怖い者知らずで、挫折を知らなくて、未だ傷みを知らない。世界には自分たちしかいないから、だから他者に優しくなれない。
 合宿に入ってわずか一日だが、すでに他と浮いた存在になり二人だけでこそこそとする姿が目立った。
「わかりました。特に注意します」
「ん。それだけ」
 すぐに踵を返したカカシを思わず引き留めていた。
「センセー」
 足を止めたカカシだが、そのままでイルカの言葉を待つ。
 特になにか言いたかったわけではない。一番聞きたいこと、なぜあの時あんな暴挙に出たのか、そんなことは聞きたくても聞けない。
 だからイルカはふと思いついたことを口にしていた。
「俺のことは、イルカでいいです。それとも、訓練中は呼び名も注意しなければいけないものですか? もしそうでしたら、俺もカカシセンセーのことははたけ上忍と呼んだほうがいいでしょうか」
「いや。そんなことはないよ」
「それなら」
「いいの。これは俺のけじめだから」
 そう言ってカカシはあっさりと去ってしまった。
 その姿を見送ってぼうと立っていたイルカは、腹の底が煮え立ってくるのを感じた。
「なんだよ、けじめって……」
 忌々しく呟く。
 けじめをつけられずにあんなことをしたくせに、それに関してはなんの言葉もないなんて。
「サイテー」
 きっとカカシにとってはあんなことはちょっとした暇つぶしだったのだろう。自分のことを相手にしなくなったイルカへの意趣返し。
 けれど。
 意地悪くそう思いたいのに、カカシがそんな人間でないことは知っているから気持ちの落ち着き場所を探せない。
 だがカカシは大人だから、上忍だから、クールにかわすことは容易なのだろう。
 イルカだけが、うじうじと考えているのだろうか。
 そう思い至るとむしゃくしゃして、イルカはそのあと残った洗濯物をたたきつけるようにして干した。





 

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