センセーは上忍 中編







 合宿は順調に進み、残すところ最終日の模擬任務を残すのみとなった。
 イルカが主に指導を受けた上忍はカカシではなかったが、カカシ担当となっていた友人達は最初の言葉をすぐに撤回して、連日連夜、はたけ上忍はすごいすごいの連発だった。
「ぼーっとしているように見えるけどさ、実はちゃんと見ててくれるし術の発動とか完璧だし印結ぶのとかすっげえ早いんだぜ」
「やっぱ基本のレベルが違うよな。俺達と同じ術かけてるとは思えないもんな。今日俺ちょっとケガしただろ、手当も早くてさ」
 二人共がうっとりとして、すっかりカカシの信奉者だった。
 まあ二人の言葉には全面的に賛成だ。イルカも合宿の期間中にカカシに直接教わることはあり、さすがは上忍だと思うことは多々あったのだ。
 カカシとの最近のわだかまりなど浮かばないくらいに、純粋にすごいと思えた。
 意識せずにイルカの頬はふと緩む。確かにカカシはぼーっとしているがかっこいいのだろう。
「オレ、はたけ上忍になら喜んで奉仕しちゃうな」
 イルカは広げていた巻物を取り落としそうになった。
 イルカが上忍から暴力を受けた任務にも同行した友人は、イルカより年下だが大人びた、そして美しい容貌をしていた。
「なに言ってんだよお前……」
 思わずかたい声がでた。
「ええ〜。なにって、だから、はたけ上忍になら抱かれてもいいなって。この間のおっさんはサイアク。いくらお仕事とはいえイルカみたいに拒否ってボコにされたほうがマシだったかもね」
 肩を竦めてかるく言う。
 胸がざわざわして、イルカは用意した巻物を掴むと部屋を出た。
 こんな時に、カカシに届けなければならないものがあるなんて、なんてタイミングが悪いのだろう。
 基本の担当上忍はいるがすべての上忍に教えを請うということで、作戦立案に関してのイルカの担当はカカシだった。 合宿所として借りている寺のお堂でそれぞれに課題が出されて上忍たちは中忍たちがたてる作戦の添削をするという授業だった。
 昨日の昼間イルカはなかなかうまくまとめることができなかった。時間内で終わらせられずにのちほど提出となったのだ。
「うみのです。作戦立案の巻物を持ってきました」
 おとないをいれると、どうぞと声をかけられ、俯いたままイルカは障子を開けた。
 カカシは開いた巻物になにか書き付けていた。
「もう少しで終わるから、ちょっと待ってて」
 カカシは真剣な顔で筆を走らせていた。新しい術でも開発したのだろうか。
 灯りの下で銀色の髪が艶めいて見える。訓練中はもちろんだが今も顔の下半分と左目は額宛で隠すといういつもの出で立ちだ。カカシが素顔をさらすことなどまずはないというのに、どうして整った容貌をしているのだと誰もがわかるのだろう。イルカは、直接見たから知っているが。
 だがじっとカカシの顔を観察すれば確かに、にじみでるものというのか、きっと悪くない顔立ちだと思わせる輪郭をしていた。
 何度か見たことがあるカカシの素顔。そのシチュエーションはどちらかといえばあまり思い出したくないシーンにも直結する。よみがえりそうになる光景に慌てて頭を振った。
「お待たせ。どうしたの、うみの」
「いえ、なんでもありません。遅くなって申し訳ありませんでした。指摘を受けた部分をなおしてみました。みていただけますか」
 作戦の説明をするためカカシの向かいに座る。
「その前にまず、次回からは時間内で終わらせるようにしてね。いくさ場だったらどうするの。敵は待ってくれな〜いよ」
 にこりと笑ってばっさりと切る。申し訳ありませんとイルカが素直に謝れば、カカシは頷いてイルカの説明を求め始める。
 提出が遅れたことを取り戻すように意気込んでイルカは説明を始める。
 じっくりと思い返せば以前読んだことがある書物に載っていた、忍界大戦でも使われた布陣だった。それを少しアレンジして完成させた作戦にカカシは質問をぶつけてくる。イルカはよどみなく返答して、時間を忘れるくらい互いに真剣にシュミレートしていたら、気づけば体が密着して、真横に、カカシの顔があった。同じ側から説明をくわえたほうがいいと思って、いつの間にかカカシの隣に移動していた。
 息がかかるほどのところで視線が絡んだ数秒。ごくんと喉を鳴らして、かすかに右の頬を赤くして視線を逸らしたのはカカシのほうだった。
「す、すみませんでしたっ」
 イルカは場の空気を拡散させたくて大きな声で謝っていた。カカシのとまどいがイルカにも伝播する。
 重い沈黙に包まれる部屋。このまま出て行きたいが、もう少し説明が必要だ。どうしたらと思いながらなにげなしに手の甲で触れた頬が熱い。どうして熱くなるのか、理由はわかっている。
 なぜならイルカはカカシのことが嫌いではないからだ。
 根が甘ったれの自分が嫌でカカシとの距離をとることを選んだが、カカシを嫌いにはなれない。あんなことをされたのに。カカシのことが本当に許せないのなら、強姦、されたことをまず許しはしなかっただろう。
 カカシは黙ったまま茶器を手に取ると、イルカの前に湯飲みを差しだしてくれた。目顔で礼をして口に含んだお茶は湯加減がちょうどよかった。
 ほっと息をつけば、顔を上げたカカシと目があった。
 カカシは一瞬笑顔を見せようとして、けれど強ばったままかすかに寂しそうに口もとを歪めた。
「ちょっと、話があるんだけど、いいか?」
 心臓が、大きく脈打つ。
「なんでしょうか……」
 内心の動揺を隠してきちんと正座する。
 カカシは言葉を考えあぐねているのかいつものように頭部をかきながら、何回か口を開閉させたあと、いきなり頭を下げた。
「この間は悪かった」
 それが結構大きな声でしかも大袈裟に頭を下げるから、イルカは慌ててカカシの肩に触れた。
「顔、あげてください」
 隣には他の上忍の部屋がある。こんなところを見られたら何を思われるかわからないからというイルカなりの配慮なのだが、カカシはイルカが触れた途端、またもや顔を赤くして、思わず引こうとしたイルカの右の手をつかんできた。咄嗟に手を引くのだが、カカシは離してくれなかった。
「俺、やっぱり、イルカのことが諦められない」
 隠されていない右の青の瞳がイルカのことを射抜く。
「この間のことは、本当に悪かった。イルカの気が済むなら煮るなり焼くなり好きにしてくれていい。でもイルカのことを諦めるのだけは無理だ。前も言ったけど、俺は、イルカじゃないとダメなんだ。イルカじゃないと、いやなんだ」
 苦しそうなところから絞り出されたようなカカシの声。実際にカカシの顔は辛そうで、せつなく瞳が揺れていた。
 身を引こうとしたイルカだが、カカシは力を緩めてくれない。
「俺、俺は……」
 続く言葉が見つからずに目を逸らすこともできずにいると、カカシがふっと笑った。
「ごめん。こんなところで言うことじゃないな」
 手の力を抜いたカカシだが、そのままイルカの指先に唇をあてると、まるで尊いもにでも触れるように、そっと目を閉じた。
「! センセー!?」
「愛してるよ、イルカ」
「センセーっ!!」
 たまらず手を振る。カカシはいたずらがばれた子供のように楽しそうに笑う。
「合宿終わったら、改めて会いに行く。行ってもいいか」
 イルカに答えをゆだねるカカシはずるい。イルカの心が揺れていることをまるで見透かしているようだ。
 だめだ、会いたくない、とはっきり告げるには、イルカの気持ちはずいぶんどっちつかずになっていた。
「俺は」
 言葉を続けられずに俯けば不意に頭を優しく撫でられた。
「ごめんな。俺はイルカのこと困らせてばかりだな。でも、好きだよ。イルカが好きだ。大好きだ」
 胸に染み入る声に、イルカはたまらず部屋を飛び出した。







 

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