センセーとの夜 前篇







 この任務が終わったらすぐにでもとそう言った。カカシの好きなように、めちゃくちゃでいいと。
 イルカから言ったのだ。
 カカシはその言葉を聞くと、驚いて、そして嬉しそうに少年のような笑顔を見せてくれた。
 じゃあ俺はいいこにしてイルカの帰りを待っているとおどけて口にした。



  ※ ※ ※



 ふっと目を覚ませば白い天井。
 いやというほど見慣れた景色ではあるが久しぶりでもある。
 渇きを覚えるが喉がかすれている。随分と眠っていたのだろうか。
 最後の記憶は、仲間の体を抱えたまま、敵の術が放たれたことだ。火炎が、真っ直ぐに向かってきたことは覚えている。
 なんとか飛んだが、それから、どうなったのだろう。
 病院にいるということは救助されたことはわかる。
 だが、仲間は、どうなった?



  ※ ※ ※



 夏の終わりにイルカは任務を拝命した。
 スリーマンセルが4組、最近勢力拡大を計っている未だ名もなき新興の忍集団が木の葉の国境を侵すようになってきた。偵察兼、状況によっては戦闘になることも考えられると言うものだった。
 出発の前日に、カカシの家に赴けば、あからさまに不機嫌な顔したカカシに迎えられた。
「センセー、なんだよ、ガキかよ」
「だってさあ、な〜んでイルカなんだよ。他にも代わりに行ける奴いるだろー?」
「上忍さまがわがまま言うなって」
 文句が止まらないカカシに苦笑しつつイルカは抱きついてやった。
「イルカ」
 すぐにカカシは抱き返してくる。ここはまだ玄関だというのに、すかさず顎をすくわれて、キスされてしまう。最初からかみつくような貪欲は触れ方で、ぬるりと触れた舌が熱くて、体中が発火するようだ。
 これ以上は、と思いイルカはカカシの体を押すが、カカシはあからさまにイルカの舌を甘く噛み、下肢を押し付けてくるではないか。
「センセー!」
 思わず加減を忘れてカカシを突き飛ばすようにしてしまった。
 カカシはイルカと少しばかりの距離をとったが、よろめきもしなかった。イルカは自分の顔が真っ赤になっている自覚はあるが、カカシは端正な顔のままでまだ口を尖らせている。
「だってさ、やっと、イルカのこと抱けると思ってたのに」
 そうなのだ。
 互いの予定を確認して、イルカの体への負担を考えて翌日に休みがもぎとれてここだと決めた日に、運悪く任務が入ってしまった。
 カカシが不貞腐れるのはわかるが、あまりにあからさまに残念がられると、恥ずかしいではないか。
「任務だけど、たった三日だろ? すぐに帰って来るって」
「そうだけど、また最初から予定組まなきゃならないだろ」
 いつまでも駄々をこねられると、イルカは笑ってしまった。
 これではどっちが年上かわからない。
 そこで空腹を訴える腹の音が響き、やっとカカシも笑ってくれた。
 テーブルには鉄板の上に分厚い肉がでん、と準備されていた。湯気がたっているのはイルカの帰宅に合わせてのタイミングで焼いてくれたのだろう。
 サラダも水を弾いておいしそうだ。
 いただきますと手を合わせれば、カカシがおどけて召し上がれと言う。向かい合って、互いの今日の出来事を話しながらの食卓だ。
 イルカは任務の準備があり、カカシは上忍師としての仕事や単独の任務があり、2人で食卓を囲むのは久しぶりだったと思い至る。
「ねえイルカ、今日は泊まって行ってよ。明日うちから任務に行けばいい」
 カカシはさらりと言ってくれるが、さきほどの濃厚な接触を考えると、今夜が心配になる。
「いいけど、明日から任務だし、あんま変なことされると困るんだけど」
「変なことって?」
 さわやかな顔で返されてイルカはむっとなる。
「セクハラおやじ」
「ひどっ。俺はまだ30にもなってない」
「言動はとっくにおっさんだよ」
「イルカこそ、やーらしー。泊まるイコールエッチなことされるって?」
「じゃあしない?」
「まさか。するけど」
 悪びれないカカシに脱力したイルカだが、別にカカシに触れられることが嫌なわけではない。もろもろの検査結果がでるまではということで両想いになってからは最後までしてなかったとはいえ、随分と濃厚なことはされている。
 あんなことや、こんなことや……。思い返しただけで皮膚がざわざわする。
 とにかくカカシは手慣れていて、イルカはいつだって翻弄されてしまうのだ。
「お手柔らかに、頼みます」
 イルカの言葉にカカシは吹き出した。
「なんだよもう、かわいいな〜。わかってるよ。イルカの体の負担になることはしないから」
 楽しそうなカカシにつられてイルカも笑ってしまう。
 明日は早朝の出立のわけではない。少しくらい濃厚でもいいかとこっそりと思った。
 が。
 案に相違して、カカシはベッドに入っても何もしてこない。ただ抱き枕よろしくイルカを後ろから抱き寄せて、眠ろうとしていた。風呂場で念入りに体を洗ったことが馬鹿みたいではないか。
「三日も会えないからイルカのこと補給しておかないとな」
 イルカの気持ちも知らずにすんすんと鼻を慣らしてイルカの匂いをかいでいる。首筋にかかる吐息がくすぐったくて、もぞもぞしてしまう。
「センセー、あの」
「そうだイルカ」
「な、なに?」
「俺のこといつになったらカカシって呼ぶの?」
 何かと思えば思いがけないことを言われた。
「なんだよいきなり」
「だ〜ってさあ、俺もうイルカのセンセーじゃないし、恋人なんだから、せめて二人きりの時くらい」
「そう、だけど、センセー俺より10も年上じゃん」
「そんなの恋人なら関係ありませ〜ん。いつまでもセンセー呼ばわりだと、なんかあやしい関係みたいだろ? センセーと生徒って秘密の関係っぽい」
 ぎゅっと抱きこまれ、イルカの心臓は跳ね上がる。
 妙にどきどきとする。本当は今夜カカシと抱き合っていたのだと思い出せば、鼓動の早さが増す。このベッドの上で、カカシに……。
 イルカは胸の奥がきゅうっと絞られるような感覚を覚え、体の向きを変えていた。
 カカシと向かい合って、じっと見つめる。カカシが何か言う前に、薄い唇に自分から触れていた。
 イルカだって、カカシのことがものすごく好きなのだ。早くすべて奪ってほしいと思うくらい、好きなのだ。
 触れただけで離れれば、カカシは眠そうな目を驚きゆえか見開いていた。
「イルカ?」
「任務から戻ったら、センセーの、カカシ、さんの! 好きにしていいから! めちゃくちゃなのでも、いいからっ」
 電気が消えていてよかったと思う。きっと沸騰したような赤い顔でいるだろうから。
 カカシがごくりと喉を鳴らす音が聞こえた。何か言ってほしいのに、まじまじと見られて、いたたまれない。恥ずかしさに耐えられずまた背を向けようとしたら、優しく髪をかきあげられた。ふにゃりと笑み崩れたカカシのグレイががった青い目の中にイルカが映る。
「じゃあ俺はいいこにして待ってるよ」
 見ているほうが恥ずかしくなるようなとろける笑みを見ていられなくて、イルカはぎゅっとカカシに抱きついた。
 抱き返したカカシが耳元で「愛してるよ」と言う。ぶるりと震えたイルカは下肢が熱くなるのを感じて思わずカカシに押し付けていた。
「ちょっとだけ、して……」
 カカシのほうも反応していることに安堵してついねだってしまった。羞恥はあるがそれに勝る欲がある。イルカはまだ十代なのだ。しかも愛する者から与えられる快楽を知っているのだから、ねだっても仕方ないだろう。
 ふう、とカカシが吐息をこぼす。我慢してたのに、と不貞腐れたような呟きが届く。
「仰せのままに」
 イルカを煽るような低い声は脳裏を甘く染めた。



 イルカが煽るからとカカシはいいわけを並べたが、2人して少しだけタガを外してしまった。
 ほとんどセックスと言っていいようなことをしてしまった。何度だしても尽きない欲が我ながら怖いくらいだった。
 朝になり、カカシが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれて、集合場所へと送りだされた。
 玄関先で検分され、エロい顔消滅! とカカシが納得してから出発を許された。
「行ってきますカカシさん」
 角を曲がるところで手を振れば、カカシも大きくふり返してくれた。
 たった三日。
 三日たてば今度こそ。



  ※ ※ ※



 目覚めて意識を明確に取り戻したイルカの元に担当の医師がやってきた。
 救助されてから二日間眠り続けたという。
 他のスリーマンセルたちはイルカたちがおとりとなったおかげで逃げ延び、イルカが所属したスリーマンセルのうち、一人は死亡。もう一人はいまだ意識不明の重体だという。
 仲間は馴染みの二人で、イルカより優秀だったが、イルカが一番年上だった。なのにイルカが生き残ってしまった。
 昔を思い出す。
 こうして毎回生き残ることは悪運が強いからだろうか。
 忍であればこの先もいくらでもこんなことは経験するだろう。いっそ死んでしまったほうが楽だった。そんな投げやりなことさえ思ってしまう。
 ナルトとサスケとサクラが見舞いに来てくれた。火影さえ足を運んでくれた。
 イルカたちのおかげで敵は壊滅させることができたと聞いたが、うまく笑うことはできなかった。生気のないイルカを火影は随分案じつつ帰って行ったが、空元気をだす気力も沸かずにいた。

 明日は退院できるという日、開いている窓から風が吹き、ああ、生きてるんだなと思った時に廊下が騒がしくなる。ドアに顔を向ければ、ちょうど入ってきたカカシと目があった。
「センセー」
 カカシはイルカたちの任務の始末を付けるために幾人かの上忍たちと任務に向かったと聞いていた。埃っぽい姿に、戻ったばかりなのかと察しをつける。
「任務、お疲れ様……」
 最後まで言えずに、カカシに抱きつかれていた。
 加減をしながらも力のある抱擁に、イルカは一瞬息を止めた。
「よかった、ほんとに、よかった」
 鼻をすする音にカカシが泣いていると知る。
「もし、イルカがいなくなったら、どうしたらいいんだって、思って。俺はもう、大切な人を失いたくないんだ」
 大の大人が、里の誇る凄腕の上忍さまが、大声で泣いている。開いたままのドアから看護師やら通りがかりの他の患者たちが何事かとのぞいている。
 恥ずかしい。恥ずかしいではないか。
 だがイルカの目に映っていた人たちの姿の輪郭が歪み、崩れ、イルカも気づけば泣いていた。
「うん。俺も、生きていて、よかったと、思う。やっぱり、生きていたい」
 張りつめていた心が緩んで、ふっと体が軽くなる。
 二人して気が済むまでわんわんと泣き続けた。



 退院してから三日経った。
 病院で傷を確認してもらえば、火傷の跡といくつかの裂傷はほぼ完治しているが、無理はせずに頭を打っているのだから検査結果に問題はなくても療養はしろと言われた。幸い里の戦力にも余裕がある時だから今はゆっくりと治すことが肝心だと火影にも念押しされた。
 病院の帰りにカカシの家に行くと伝えておいた。
 遅くなるかもしれないと言われたが、それでも構わないと言った。
 病院をあとにしてから、慰霊碑に向かう。仲間がまた一人ここに眠ることになった。重篤だったもう一人の仲間は意識を取り戻し、イルカが助かったことを喜んでくれた。治ったらまた忍に戻ると言ってくれたことも嬉しかった。
 慰霊碑の前に立っていると、初めてのスリーマンセル、初めての先生のことが浮かぶ。
 あの時ほとんど死ぬような目にあったのに、体に傷が残ったのに、それでも、どうして自分は、忘れてしまうのだろう。
 命は永久に続くものではなくて、なにもせずにいれば時は無意味に容赦なく過ぎていくということを。
 後悔するのはたくさんだと思っていた気持ちを忘れてしまっていたような気がする。
 心の中で改めて決意して、イルカはすがすがしい気持ちをもってカカシの家に向かった。


 病院中に響きそうな声で泣いたイルカとカカシの二人はしっかりと恋人認定され、あっという間に里中の忍すべてが知っているような仲になってしまった。
 ただの事実だから困ることはないのだが、さすがにナルトににやにやとからかわれ、サスケやサクラにお幸せになんて言われたのは改めて気恥ずかしいものがあった。
 けれど、間違いなく幸せだ。
 生きている幸せ、カカシと共にいられる幸せをかみしめながら、カカシの家を磨き上げる。
 はじまりの日にふさわしく、磨くのだ。
「部屋が、輝いて見える。え? イルカがいるってことだけでこんなに輝くわけ?」
 帰宅そうそう頭が沸いたようなことを言う上忍をさっさとバスルームに押し込める。そこでもぴかぴかだと感動している。
 半日かけて家じゅう磨き上げたのだから当然だ。
 遅くなると言ったわりにはカカシの帰宅は早かった。頑張って任務を早く終わらせたのだろう。
 たいした料理ができるわけではないから、適当に買ってきた刺身とポテトサラダと肉じゃがは自分で作ってみた。ほうれんそうの胡麻和えもまあ充分うまいだろう。というより、イルカの作るものであればカカシはなんだっておいしく食べるのだから。だがそれはそれでは少し悔しい。うまいへたがどうでもいいことになってしまうではないか。
 風呂から上がったカカシには缶ビールを一本差し出して向かい合い、いただきますと手を合わせる。
 任務に行く前日以来だ。
 あれから半月ほどだろうか。夏の終わりと思っていたが今はもう秋が始まっている。エアコンをつけることはなく、網戸から吹いてくる風はさわやかで、少し寂しい。
「体はもう大丈夫だった?」
「うん。ばっちり。もともと頭を打ったから長引いていただけだし、傷は、ちょっとまた増えたけど問題ないよ」
「忍なんてみんな傷だらけだよ」
 カカシが軽い口調で言ってくれるのはイルカが以前傷が気になると言ったからだろうか。だがそんなこと、生きている現実に比べたらなにほどのことだというのだろう。
「俺さ、今回の任務で久し振りに思い出したんだ」
「何を?」
「生きてるってすげえことだって」
 箸を止めたカカシがじっと見つめてきた。
「俺は、死んでいたかもしれない。生き残れたのはちょっと運がいいだけだったと思う。忍は、普通に人たちと違っていつだって死と隣り合わせに生きてるのに、最近平和ボケしすぎて、忘れていた。後悔しないように一所懸命生きなきゃならないってこと忘れてたんだ」
「そうだけど、気負う必要はないよ」
「うん。でも、やっぱりこのまま死んだら嫌だなって思う。カカシさんに、だ、抱いてもらえないままは、嫌だなって」
 言葉にすれば、かあっと腹の底から熱くなる。最後の一線を越えないだけで、いや、最初に超えているが、きちんと恋人としては超えてないが、充分すぎることはこなしてしまっている。それでもあえて抱いてほしいなんて言うことは恥ずかしさの極みだ。
 カカシはぽかんと黙ったままで、イルカの恥ずかしさは頂点に到達して、俯いて開いた口が一気にまくしたてていた。
「くだらないことかもしれないけど、でも、俺はやっぱりあんたのことが好きだから、あんたは確実に俺のものなんだって実感したいし、俺もあんたのものなんだって、わかってもらえるのは、その、下世話だけど、でも、抱き合うのが、一番、いいんじゃないかって、思って、その」
 がたんと椅子を蹴倒す音がして、思わず言葉を止めれば、カカシが立ち上がっていた。無表情なさまに迫力がある。
 黙ったまま見ていると、カカシはイルカがいる側にまわってきた。視線をはずせずに見上げていれば、両肩にカカシの手がのった。
 ぐっと少し痛いくらいの力がこめられる。
「センセー?」
「俺も」
 ごくっとカカシが喉を鳴らした。
「俺も、イルカと、したい。ちゃんと、したい! イルカのこと、抱かせてほしい。お願いします」
 真剣に頭を下げてお願いされて、イルカは吹き出してしまった。
 固まっていた空気が一気に柔らかくなって、イルカはテーブルに突っ伏して笑ってしまう。
「え、なに、そんなに笑うこと?」
 おろおろするカカシをテーブルに突っ伏したまま横目で見上げる。おかしくて涙が滲んだままうっそりとカカシに笑いかけた。
「いいよ。しよう。言ったろ? めちゃくちゃでいいって」
 そう告げればカカシの白い顔が真っ赤に染まる。珍しい様子に愛しさが溢れる。
 カカシに手を伸ばせば、抱き上げられた。軽々抱き上げられるというのは少し悔しいが、年の差もあるしなんといってもカカシは一流の忍だ。経験不足のイルカは仕方ないと諦める。
 きゅっとカカシの首に抱きついた。
 他のことを考えられなくなって、カカシ一色に染まるくらいに、めちゃくちゃに愛してほしいとそう思ったが、口にだせばカカシが貧血を起こすと困るから、心の中だけで呟いておいた。





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