センセーのコイゴコロ







 少し暑い日だった。
 任務で畑仕事の手伝いをしての帰り道、木立の向こうの清流に目敏く気づいたのはナルトだった。
「カーカシ先生! 水浴びしようってばよ」
 カカシの返事も待たずにナルトは駆け出す。カカシがイチャパラから目を上げるとナルトにイルカが続き、その後をサスケとサクラがついて行っていた。
「ちょっと!ナルト!」
 サクラの叱責など聞かずにぽいぽいと上着とズボンを脱ぎ捨てて下着になったナルトは川に飛び込んだ。上がる飛沫はきらきらと輝き、まだ午後も早い時間だったとあらためて気づく。
「ナルト! レディの前で何よ!」
 と言いつつ、サクラはちらりとサスケを伺う。その目にはありありと、サスケも脱いでくれないかなあという期待があった。
 子供だと言ってもさすがは女の子。カカシは口布の奥で苦笑した。
「きーもちいいー!」
 野生児ナルトにサスケは呆れた視線を向けるが、そこにすかさずナルトが水鉄砲を仕掛けた。
「へへーん。悔しかったらお前も来いよサスケ」
「こんのウスラトンカチ……」
 まんまと乗ったサスケは上着だけ脱ぐと水に飛び込んだ。さすがにサクラは脱ぐわけにはいかないが、脚絆をとって水に足をつける。犬っころのじゃれあいのような二人を見つめている。おそらく内なるサクラはサスケの裸体に、しゃーんなろー! とガッツポーズを作っていることだろう。
 やれやれ、と木陰で木に寄りかかったカカシの視界の隅で、イルカが上着を脱ごうとしていた。
「あ、イルカ! ちょっと待て」
 咄嗟に、カカシは声を上げていた。
 ぴたりと手を止めたイルカはカカシを振り返った。
「カカシ先生、なんですか?」
 黒々とした子鹿のような目がカカシをまっすぐに見る。それだけでカカシの心臓がSSレベルの敵と命のやりとりをしている時以上に脈打つことをきっとイルカは知らないだろう。
 あの再会した日にイルカが許してくれたから和解を果たすことができた。あれから何度か任務をこなし、イルカは徐々に慣れ始めていた。
 イルカは屈託なく笑い、ナルトたちともうち解け、カカシにもきちんと礼儀正しく話してくれる。イルカと話すたびに緊張でドキドキしっぱなしのカカシよりもよっぽど大人だ。
「あー、その、服を脱ぐのは、ちょっと……」
 頭をかきつつ視線を逸らしてカカシが小さく告げれば、イルカははっとして、頷いた。
 言葉が足りなかったと思うのだが、イルカはカカシの言いたかったことはわかってくれたようだ。
 服を着たまま、水の中に飛び込んでいった。





 1時間ほどの水浴びで、帰路に着く。さすがに午後、日が傾き始める頃には吹く風も少し肌寒い。ナルトがくしゃみをするのは自業自得だと思ったカカシだが、イルカが続いてくしゃみをした時には火遁で三人まとめて乾かした。
 分かれ道ではすでに夕焼け。サスケとサクラはそれぞれ用があると去ってしまった。
「んじゃあ俺これから修行に行くけど、イルカ兄ちゃんも行く?」
 チャンスだ! 今日こそイルカを夕飯に誘おうと思っていたカカシだがナルトが余計なことを口にする。ナルトは特別イルカを慕っており、密着が激しいと普段よりカカシは気が気ではなかった。
「うーん、そうだなあ」
 行くな、イルカ! うまいのくわしてやるから、俺と一緒に出かけよう!
 とカカシは心の中では叫んでいる。その声が聞こえるわけもないはずだが、イルカはちらりとカカシを見た。
「今日は俺ちょっとカカシ先生に話があるから、また今度な」
 イルカがにこりとナルトに告げた。カカシは覆面の下、見えないところで器用に顔を赤らめていた。
「えー。いいよカカシ先生なんてー」
 ナルトはぶうぶうと文句を垂れたがイルカが次は必ず、と約束してやれば最後には手を振って走っていった。
 ナルトを目で追うイルカの細い後ろ姿に、カカシは両手を伸ばしたくて伸ばしたくてうずうずする。
「先生、何やってんですか?」
 必至で両手首をおさえて悶えているカカシをイルカはいぶかしげに見ていた。
「あ、いやああ、なんでもないって」
 わざとらしく笑いつつ、今夜はどこにイルカを連れて行こうかとカカシの頭は考え始めていた。
「先生、あの、今日はすみませんでした」
 そんな時に機先を制するようにイルカがいきなり謝罪の言葉を口にした。
「何? なんで謝るの?」
 イルカは鼻の頭をかいて気恥ずかしそうに笑った。
「昼間、俺服脱ごうとしたじゃないですか。俺は自分の傷だししょっちゅう見てるから見慣れてるけど、ナルトたちが見たら、気悪くしますよね」
 傷? いきなりイルカが言い出したことがカカシにはわからない。
「傷って、何が」
「俺の、腹にある、傷ですよ」
 そこまでイルカに言わせてカカシはようやく思い出した。イルカの腹と胸にあった火傷と抉られた刀傷。イルカのことを強姦した時に見た。
 と。
 そこまで思い出したら一気にカカシの頭の中には怒濤のようにあの夜の記憶が押し寄せる。イルカのかすかな喘ぎ声やら吐息やら匂いやら……。ずきゅん、と下半身がやばいことになりそうでカカシの猫背はさらに丸くなる。
「俺うっかりすることあるかもしれないから、その時はまたカカシ先生教えて下さい」
 イルカは爽やかな笑顔を置いて、さよなら、と言ってしまおうとした。
「イルカ! ちょっと待って」
 二の腕を掴んだ。よろりと体勢を崩したイルカのことをそのまま後ろから抱きしめた。
 ここがアカデミーの方に続く往来だとか、まだ人通りがあるとか、そんなこと頭の中から吹っ飛んだ。
 イルカの頭に鼻先を埋める。小さな、細い体のぬくもりを胸に取り込む。
 久しぶりに間近で嗅ぐイルカの匂いにカカシの脳裏をくらくらとして、心臓は早鐘となった。
「違う、違うよイルカ。昼間俺が言ったのはそんな意味じゃない。俺は、ただ、イルカの裸をあいつらに見せたくなかっただけ」
「え? だから、傷が……」
 察しの悪いイルカ。
 体をぐいと返して、イルカの両肩に手を置いて見つめる。イルカは瞬きを繰り返している。ちくしょう、かわいい、とこんな時だがカカシは思う。
「そうじゃなくて、俺、イルカのことを誰にも見せたくないんだ。イルカが誰かに笑いかけたり優しくしてるといらいらして、すごく嫌なんだ。イルカのことをどこかに閉じこめて、俺だけが見ていたいって思っているから、裸なんて、絶対に絶対に誰にも見せたくないから、だから……」
 目を大きく見開き、ごくりと喉を鳴らすイルカ。惹かれるようにカカシは顔を傾ける。
 どうしても止められずに、イルカの唇に触れていた。
 イルカが息を飲む気配。唇は少しかさついているが柔らかい。夢見た柔らかさだ。
 カカシは一瞬の快楽に酔ったが、弾かれたようにイルカが飛び退いた。
 かああっと夕日に負けないくらいにイルカの顔が染まる。カカシは衝動がおさえられずにイルカのことをまた抱きしめようと手を伸ばした。
 その時。
「なら―――――――んっ!!」
 落ちてきたのは、火影の雷。
 二人の間の地面に文字通り亀裂が走る。
「イルカー!! 今わしが行くぞ! カカシィ! そこになおれいっ!」
 どこから降ってくる声なのか。おそらく火影の水晶で見ていたのだろう。あっという間にアカデミーの方から砂埃が見える。笠を手で押さえた三代目が走ってくるではないか。
 ジジばかっぷりにカカシは呆れるやらむかつくやらで歯ぎしりする。
「カカシ先生、とりあえず、逃げたほうがいいと思いますよ?」
 苦笑したイルカ。思わずキスなどしてしまったカカシは今頃やってしまったことの重大さに気づく。だがイルカは怒ってはいない。それに勇気を得てカカシは思い切って声を大きくした。
「俺、ずっとイルカのことが」
「カ〜カ〜シ〜!!!!!!!!!」
 肉迫した火影が素早く印を結んで、風遁をしかけてきた。
「俺! イルカのことっ……!」
 最後まで言い切れずに、カカシは宙に飛ばされた。





 飛ばされたカカシはナルトが修行する木の葉の山に着地した。
 多重影分身をしていたナルトの輪の中に落ちると、ナルトがいっせいに同じ顔、胡散臭いものを見る目をしてカカシをじっと見つめた。
「くっそーあのジジイめ〜」
 こきこきと肩を鳴らしながらカカシはビールジョッキをあおっていた。
「どうせカカシ先生が悪いんだろ〜」
 事情を知らないくせに傍らのナルトはとんこつラーメンをずるずるとすすっている。
 ナルトの修行場に乱入してしまったカカシはそのまま空腹のナルトにたかられて一楽直行となったのだ。
 カカシはビールに餃子と野菜炒めを頼み火影を毒づいていた。
 イルカへの思いを成就させる為にはまずは三代目を暗殺しなければならないかもしれない。
 ナルトはラーメンを食べつつ本日の修行の成果を無邪気に語っている。
 その屈託のなさにカカシはなんとなしにうらやましさを覚えた。
「なあナルト、お前イルカのこと好きか?」
「大好き」
 ナルトは即答した。聞くまでもなかった。イルカはナルトがまだアカデミーを卒業する前、とても孤独だった頃にナルトのことを偏見の目で見たりせずに遊んでやったのだから。
「なんで? カカシ先生もイルカ兄ちゃんのこと好きだろ?」
 ナルトがずばりと聞いてくるから、カカシはぽろりと餃子を皿に落としてしまった。その隙にナルトはラーメンのお代わりを頼んでいた。今度はみそ、と勝手に大盛りで注文だ。
 頭を軽く小突いておいたが、頬杖ついたカカシは溜息をついた。
 ナルトのように、無邪気に好きだと言える気持ちだったならどんなにかよかっただろう。
 カカシの思いはほの暗い。
 イルカのことを絡めとって、ともにどこまでも堕ちていきたいと願うような思いだ。
 カカシは夜ごとイルカだけを夢見ている。
 イルカだけが、あの子だけが求める者だ。
 今日、とうとう触れてしまった。きっと思い出してしまう。あの子の匂いを、ぬくもりを。
「俺ってケダモノ……」
 守りたい、壊したい、堕ちていきたい。



 でも愛している。