それはセンセー (カカシver.) 5







 痛かったなあ、あの任務は。
 確か10才くらいだったはずだ。敵に囲まれ逃げる際にクナイをぶすぶす背に突き立てられ、ほうほうの体で駆けた。先生と合流できて、これで安心だ、とすっぱり気絶してしまいたかったのに、先生の腕の中で走り抜けた激痛。クナイにはご丁寧にも毒が塗ってあった。それが死ぬようなものではなくてあくまでも痛みを与えるような拷問に使うようなたぐいのものだったらしく、気絶することも叶わず一昼夜のたうっていたっけ。
 先生はもちろん、今は顔を思い出すこともできない仲間も、カカシのことをおろおろと見守っていたことだろう。
 ああー、本当に痛かったあの時は。
「でいつまでそうしている気なんだよお前はよ」
 カカシの目の前に、ひげ面の昔馴染みがいた。面倒くせえとこぼして、煙草の煙を吹きかけてきた。
「その枕はなんだいったい。つーかもう昼もとっくに過ぎてんだからよ、いい加減着替えれや」
 カカシは。
 カカシの中では早朝の出来事から時は止まっていた。
 イルカに打ち込まれた枕をそのまま頭に載せて、猫背の背を更に丸めて、正座の姿勢で部屋にずっといた。
 動かねば、イルカを追いかけねば、と思ったりはしたのだが、心が遠いところに飛んでいき、意味もなく過去の思い出を追いかけていた。
 要するに、逃避していたのだ。
「火影のじいさんからの呼び出しだぜ。カカシのこと引っ立ててこいってよ。じいさん頭から湯気だしてたぜ。なーにしでかしたんだ?」
 人の不幸は密の味、というやつか。アスマはにんまりとしている。
 カカシは瞬きをゆっくりと繰り返してから、アスマの言葉の意味するところを考えた。
 火影が怒っている。カカシを呼び出せ、と命令した。それはイルカがカカシの悪行を訴えたからに他ならない。
「……」
 がくーっとカカシは床に両手をついた。
 枕がぼとりと落ちる。
 普通なら隠し通したいような強姦されたなんてことを火影に訴え出るほどにイルカの怒りはすさまじいということだ。
 そりゃあそうだ。カカシにはいいわけもできない。そこに至るまでの心情とやらはあるが、一番顔向けできないのは、カカシが酔っぱらっていたという事実。酔っぱらって自分の生徒を犯してしまっただなどと、人として最低サイアクだ。
 暗部に八つ裂きにされてしまえ!
 いや、イビキに拷問してもらったほうがいいかもしれない。そうだ。それがいい。
 もっと、もっとぶってくれえ! いたぶってくれえ!
 ああでも、イルカを傷つけたのだからイルカに拷問してもらうべきだ。そうだ、イルカにぶったたいてもらおう! 嬲ってもらおう!
「何百面相してやがる。気持ち悪ぃな。とにかくさっさと着替えろ。遅れるとじいさんの怒りが沸騰するだろうが。ああでもすでにやばいくらいだけどな」
 しかしカカシにはアスマの声は届いちゃいない。
 イルカに詫びを入れたい気持ちから拷問だ、とよくわからないルートが出来上がり、なぜか瞳はきらきらと輝いていた。
「お〜い、カカシ。戻ってこいよ〜」
 アスマがひらひらと顔の前で両手を動かしても、カカシはどこかとおーいところを見ている。
「ほんっとに、面倒くせえ……」
 あまり気が長いほうではないアスマはカカシの首根っこを無造作に掴むと、引きずって部屋を後にした。





「ちょっとカカシ、あんた自分の生徒に何したのよ」
 待機しろと言われ、見張りと称してアスマがつけられた。あいかわらず猫背のまま、ゴウモン、ゴウモン、とぶつぶつ繰り返すカカシの元に紅もやってきた。アカデミーの職員室の隣、普段は応接室として使われる小さな部屋で、テーブルをはさんでカカシとアスマは向き合っていた。
 カカシの瞳孔は危険に開いている。銀の髪は半分くらい白く変わってしまっているかもしれない。
 煙草をふかしながらまったりとくつろいでいたアスマの横に紅も腰掛けた。
「紅、お前今日は非番だって言ってなかったか?」
「そうだったんだけど、呼び出しくらったのよ。カカシが問題おこしたから、なんかそれを弁護できるかどうか、判断しろって。よくわからないんだけど面白そうだから引き受けたの」
 にこやかに告げる紅の前にアスマは書類を差しだした。
「何よ?」
「一緒に読むか。カカシの悪行がのっているんだと」
「悪行〜? まあそれは楽しそうね」
 まんざら冗談とも言えない口調で喜々とした紅は長い足を組んで細い指先が書類を捲りだした。

 カカシはその間妄想の中でひたすらイルカに許しを乞うていた。
 ひれ伏すカカシの前で仁王立ちになったイルカはなぜかムチを持っていた。
『このヘンタイ教師め! よくも、よくも俺の……』
 そこでイルカはかわいらしく唇を咬む。
『うみの、許されるわけないけど、許してくれ! 俺、俺どうかしてたんだ!』
 カカシの下手ないいわけにイルカのムチがぴしりと飛ぶ。
『どうかしてたで強姦されてたまるかよっ! 絶対に許さないって言っただろっ』
 ぴし、ぴし、とムチが飛ぶ。カカシはなぜか痛みよりも喜びを感じてイルカの足下ににじり寄る。イルカのことをじっと見上げる。潤んだ視界に、イルカの精一杯怒った顔がある。カカシが根気よく見上げていると、そのうちにイルカの口がへの字に曲がって、泣き出しそうに歪む。
 イルカは、どんなに憎い相手でも心底憎むことができない。人のよさ丸出しでへにょりと表情が哀しげになる。
 カカシはイルカの裸足のつま先に、厳かに口を寄せた。
『ごめんね、うみの。でも俺、うみののこと、本気で、好きなんだ。それだけは、信じて……』
 足の甲に口づけると、びくりと揺れてイルカが体を引こうとする。その細い足首を押さえて、すがりついた。
『センセー……』
 イルカの気弱な声が降ってくる。腰を落としたイルカはカカシの手をとってきつく握りしめてくれた。
『俺だって、本当は、センセーのこと……』
『うみのっ』
 イルカの体をカカシは抱き寄せる。
 こうしてふたりはいついつまでも幸せに暮らしましたとさ。
 めでたしめでたし・・・。

「てめえ! 離れろっ。おらああああ!」
「何よこれ! あんた死刑! 裁判にかけるまでもないわよっ。あたしが引導渡してくれるわ!」
 妄想にとっぷりと浸っていたカカシはアスマに抱きついてきた。イルカイルカと唱えている。その横では紅がテーブルの上に片足載せて書類を引き裂いていた。
「あんたっ! いたいけな少年を強姦してっ。しかも酔っぱらっていたですって!? それでも木の葉を代表する忍かあ〜! さっさと抜け忍になれ! なっちまえ! そしたらあたしが地の果てまで追いかけて八つ裂きにしてやるから!」
「こら、落ち着け、紅!」
 カカシをふりほどいたアスマは紅を押さえつける。激高した紅は今にもカカシに飛びかからんばかりだった。
「頼む、落ち着け紅。こいつはこれから火影様に八つ裂きにされて里追放だ!」
「や、八つ裂きにしても足りーん!」
 二人があまりにうるさいから、うすぼんやりしていたカカシもようやっと覚醒してきた。
 ふるふると頭を振って起きあがると、溜息を落として、二人の間にわってはいった。ぽん、と二人の肩に手を置く。
「俺、審判を受けてくる。いつまでも幸せにな」
 カカシとしてはさわやかに決めたつもりだったが、頬の両側からそれぞれの張り手が飛んだ。
「かっこつけてんじゃねーよ! 強姦魔がっ」
「ヘンタイ教師に幸せ願われたくないわよっ」
 カカシが宙に舞った時、審判の場への呼び出しをくらった。





 火影の執務室はぴりぴりとした空気に満ちていた。
 いつもの席に座った火影はなぜか忍装束になっており、怒りのチャクラが形として見えるようだった。火影の傍らには昨日の試験に同席してくれた老教師。こちらはげっそりとして、一晩で数年ぐらいは老けてしまったようだ。
 引っ立てられたカカシは火影の正面に設えられた椅子にかけるように指示され、机の上に置かれた書類には、
“はたけカカシ、未成年者に対する強制わいせつ障害事件に関しての報告書”
 と黒々とした墨書で書かれていた。
 被害者。うみのイルカ。
 罪人。はたけ(ヘンタイ)カカシ。
 ヘンタイ、と余計な一言も憎々しげに加えられていた。
 カカシはぴき、とこめかみがひきつる感じがしたが、とりあえずは厚さ一センチほどの書類を捲ってみた。
 イルカの訴えた事実はわずか1ページ。昨晩、アカデミーの教室で教師であるはたけカカシに暴行された、と。はたけカカシは酔っていたと思われる、と。
 そして残りの分厚いページにはびっしりと火影の筆でカカシへの悪口雑言が述べられていた。やたらと漢字が多い。生まれてこのかた目にしたことも聞いたこともないような難しい言葉で延々と述べられていた。
 類を見ない卑劣な犯行。性的欲望のはけ口。わいせつな行為。おぞましい。冷血。人間性を欠く。鬼畜のごとき所業。鬼畜にも劣る。・・・鬼畜、という言葉が連発されている。さすがにカカシはげっそりした。
 カカシの後ろには左右にアスマと紅が立会人として控えた。
 書類を閉じたカカシはためらいつつも、しっかりと聞いてみた。
「あの、火影様、うみのは……」
「汚らわしいわ! イルカの名を呼ぶでないっ」
 火影は目にもとまらぬ早さでクナイを投げつけてきた。クナイはカカシの頭すれすれを飛び、すこんと後ろの壁に刺さった。
 肩で息をした火影は老教師に宥められてどかりと座りなおすと、気を落ちつける為か煙管を手にした。
「お前の鬼畜のごとき所行はすべてイルカから聞いた。あやつは今朝わしの家に飛び込んで来るや涙ながらに訴えおった。お前に強姦された。厳罰を望む、とな」
 ぎろりと火影は魂も凍りそうな視線を向けてきた。
「イルカの優しさにつけこみ、お前という男は……! いくさ場にいすぎて心まで獣になりおったか」
 ぐうの音も出ない。
 カカシは縮こまる。
「昨晩はわしも不覚じゃった。お前を追ったイルカを最後まで見ておればこんなことには」
 くううと火影は天を仰ぐ。
 カカシは聞き捨てならずに反射的に顔を上げた。
「追う? 俺のこと、あいつ、追いかけてきたんですか?」
「そうじゃ! とぼけるでないわ! お前にひどいことを言ったから謝りたいと律儀に申し出てきたのじゃ。だからわしはこの水晶で位置を探ってやった。イルカは慰霊碑から酒場まで追いかけた。こんなことになるなら手助けなどしてやるのではなかった!」
 カカシはぶるぶると体が震えるのがわかった。
 どうりで、イルカの体はとても冷たかったはずだ。丁度タイミングよくカカシの元に現れたはずだ。カカシのことを追っていたのだから。
 カカシはゆらりと立ちあがった。
「俺、俺、うみのに、会いたいです。会わせてください」
「ならん」
「だって、俺、謝らないと。あいつのこと、傷つけた」
「だから会わせられんのじゃ。これ以上イルカを傷つけることは断じて許さん」
「傷つけたりなんてしないっ」
「何を言うか! カカシよ、お前はイルカに何をした!?」
「何って……」
 カカシの話など鼻から聞く気がない里長にカカシもじりじりする。
 イルカに会って、土下座して謝りたいのに。許されるはずもないが、イルカの気が少しでも晴れるように、イルカの望むことなら、なんでも差しだしたい。こんな命でいいとしたら安いものだけれど。
 イルカの元気いっぱいの笑顔をもう一度見ることができるのなら、何でもしたい。だがまずはイルカに会いたくて仕方がない。
 カカシは罪状を報告する書類をわしづかみにして火影に突きつけた。
「何をしたかなんてここにすべて書いてあるでしょうがっ。そうですよ俺はうみのを強姦しましたよ! あいつのケツに突っ込みましたよ! でも憎かったからじゃない。確かに酔っぱらっていたけど、あいつのことが好きだからあんなことしたんですよ! 誰が好きでもないクソガキの体に欲情してケツに入れるかってーの! 俺はうみののこと愛してんだよ! 文句あるかくそじじいー!」
 その瞬間、凍り付く執務室。
 カカシの逆ギレに老教師はぶくぶくと泡を噴いて倒れた。
 ぽろ、とアスマの煙草は床に落ちる。紅は息を飲む。
 火影はぶるぶると震えていたかと思うと、くわっと目を見開いた。
「カカシ! 成敗!」
 その声に反応できたアスマと紅は立派だ。飛び出して、両側からそれぞれが一本づつ火影の手を押さえつけた。冷静な時の火影だったなら二人に押さえつけられるようなことはないのだろうが、イルカかわいさに目が眩んでいるから何とかなったのだろう。
「火影様、勘弁してくださいよ! ここで忍術なんて発動されたらアカデミーが壊れちまう」
「そうです! カカシ一人痛めつけるのは大賛成ですけど、ここじゃあ他に犠牲が出るかもしれないじゃないですかっ」
「ええい、うるさい! 離すのじゃ! 離せー!」
 もがきつつ、火影は何とか印をくもうとする。だが上忍二人もここが正念場と、意地でも離すものかと渾身の力で押さえ込む。
 印を組むのが難しいと判断したのか、火影は右手の親指をぶるぶる震えながらも口元に持って行き、かり、と歯を当てた。アスマと紅は血相変える。
「ちょっと、火影様、あんた口寄せする気ですか!」
「えん、こーおー……」
 その時だった。
 執務室に、ここにいないはずの人間の声が響いた。
「やめてっ。火影様」
 ぴた、と火影の動きは止まった。素早く動いたのはカカシだ。あやまたず、声が聞こえた火影の水晶をひったくる。
 そこには、会いたくて仕方ない愛しいイルカが、ぽつんと写っていた。
 カカシはへなへなと腰を落とす。水晶を手の中で抱えたまま食い入るようにイルカを見る。
 イルカはどこにいるのだろう。顔色が悪い。当たり前か。強姦魔のカカシを目にしてまたぞろ悪夢を思い出したのかもしれない。
 けれどカカシは水晶を手放すことができずに、愛しむように優しく優しく撫でた。
「うみのぉ、ごめん、俺、本当に、ごめん、ごめんなあ」
 目を逸らしたまま、イルカはカカシのことを見てくれない。
「俺、昨日は、普通じゃなくて、でもそんなのいいわけだよな。うみののこと傷つけたのは変わらないもんな。なあ、うみのは俺にどうして欲しい? 俺、死んだほうがいい? それともどっかのいくさ場に行って野垂れ死んだ方がいいかな? うみのが選んで。なんでも、なんでも言うこと聞くから……」
 頑なに目を逸らしたままだったイルカは、カカシのことを見ることなく、水晶で見える位置から姿を消してしまった。あとには何もない空間。
 口さえきいてもらえない。
 カカシは身が裂けそうな悲しみを初めて知った。
 今までに自分が受けてきた痛みなんてどうってことはない。こんなにも体がばらばらになりそうな、悲鳴をあげるような苦しさで体が痛いなどと。そんな痛み、知ることがなかった。
 水晶を抱えて、頬を寄せる。まるでそこにイルカがいるかのように頬ずりする。
「ごめん、ごめん」
 カカシの様子が見るに堪えないものだったからなのか、部屋は静かになった。
 今ならカカシなど一刀両断することなどたやすいのに、火影は印を結ばない。
 カカシはひたすらにイルカの名を呟き続けた。
「いい大人が泣いてんじゃねーよ。それに名前が減るっつーの」
 またイルカの声がした。慌てて水晶を覗くと、ぼやけた視界には何度目をこすっても何も写らない。
 小さな吐息のような声が笑う。
「そんなとこにいねえよ」
 顔をあげれば、イルカがいた。嘘かと思って何度も瞬きを繰り返した。目をこすった。それでもイルカは目の前に、同じ目線にいる。今度は夢かと思って頬をつねってみた。
 それでも目の前のイルカは消えない。
「なんだよそんなに信じられないならクナイで刺してやろうか?」
「……うみのが、そうしたいなら」
「ばっかじゃねえの」
 イルカは大人びた様子で溜息をこぼすと、はにかんで少し寂しく笑う。どうやら本物のイルカだということを理解した。カカシは食い入るようにイルカを見つめる。
 昨日まではつやつやしていた頬がげっそりとなっている。白目は赤く充血して、目の下には隈が居座っている。
 改めてカカシは自分のしでかしたことの重大さに頭を垂れた。
「センセー。これ」
 イルカの声に顔を上げると、目の前には歪んだ銀のフレームと、伸ばされて、透明なファイルに入れられた昨日の写真が入っていた。
 カカシは唇をわななかせる。そもそも昨晩の暴行の発端はこれだ。
 イルカはカカシのことを徹底的に糾弾するのだろうか。
 カカシはごくりと喉を鳴らして覚悟を決めた。
「センセー、ごめんなさい」
 しかしカカシの思惑をよそにイルカは深く頭を下げた。
「昨日、この写真を頭に来て割ったのは俺です。写真も、丸めました。そのあとあいつが写真を持ち出して、クナイで、突き刺しました。本当はあいつにも謝りにこさせるべきなんだろうけど、今は、ちょっと、駄目です。だから俺に免じて、勘弁してやってください」
 言葉をかみしめるように告げて顔を上げたイルカの唇は震えていた。それを必死で引き結んでいる。カカシの目をまっすぐに見返している。
 イルカの必死な様子がわかる。昨日の今日だ。カカシはイルカを強姦したのだ。そんな男を前にして、怖くないわけがない。けれどイルカは逃げない。自らの非は悔いて、まっすぐに謝ってくる。
 なんて、汚れのない、この世界で初めて生まれた夜のように清らかな瞳なのだろう。この目はきっと誰にも、どんなことでも汚せない。
 カカシは水晶を横に置くと、イルカの眼前で土下座した。
「昨日は、本当にすまなかった。謝って許されるようなことじゃあないってわかっている。だからうみのが気の済むようにしてくれ。どんなことだって、受け入れるから」
「……」
 イルカは無言だ。
 こんな言葉だけではイルカには届かないのだろうか。信じてもらえないのだろうか。
「うみの、俺、どうしたら、いい?」
 耐えきれずに顔を上げて訊いてみれば、意外にもイルカはゆるく首を振った。
「俺、昨日のこと、簡単に許すことは、勿論できない。でも、昨日のことだけで、はたけセンセーが今まで俺たちに指導してくれたこととか全部がなくなるとも思わない。俺たちもセンセーのこと、傷つけたわけだし」
「そんなことないっ。あんなことくらい」
 思わずカカシは身を乗り出した。イルカは大袈裟なくらいに飛び退く。大きく目を見開いて、青ざめる顔。呼吸が荒くなる。小刻みに震える。そこに火影が大慌てで駆け寄った。
「イルカ! 大丈夫か? ええい、カカシのことはやはりわしが成敗しくれるわ!」
「やめてよじいちゃん!」
 ぎゅっと胸を押さえて、それでもイルカははっきりと火影を制止した。
 しかし火影も黙っちゃいない。
「遠慮するでない。わしにカカシを成敗させるために訴え出たのだろうが」
「そうだよ。そうだけど、俺も悪かったから。悪いことをしたら謝らないとって、じいちゃんも言ってただろう」
「イルカは何も悪いことはしておらーん!」
 火影が入ると収集がつかないと判断して、アスマと紅が再びひっつかんで押さえつけた。
 律儀にも二人に頭を下げたイルカは息を整えてカカシに向き直った。
「あー……、だから、もうセンセーとはお別れだから、笑顔でさよなら言いたいんだ。楽しいことも、あったし……」
 楽しいこと、とイルカは口にしてくれた。
 カカシがすぐそばにいることでおそらくはものすごいプレッシャーがかかっているだろうに。それでも耐えて告げてくれる。
「ごめん、ごめん…」
 カカシも目を逸らさずにそれしか告げることがないからひたすらに謝った。
 そのうちに涙がつーんと盛り上がってくる。もしも昨日に戻れるならイルカを襲っている自分を千鳥でぎたんぎたんに切り裂いてやるのに。
 カカシが情けなくも鼻をすすっていると、イルカは少し吹き出した。
「ほんっとに情けねえなぁ。大人だろ?」
 伸びてきたイルカの手。だがやはり見えない壁に阻まれるようにぎこちなく止まる。
 そのことに驚いたのはイルカで、きゅっと握った手をそのままそっと下ろした。
「センセーがもし、俺のこと憎くてあんなことしたらなら絶対に、許せない。今も、許せるかどうかはわからない。でも、そうじゃないだろ?」
 カカシはこくこくと急いで頷いた。イルカのことが愛しい、それ故の暴走でもあったのだ。
「うみののことが好きだ。大好きだ」
 強く、思いをこめて告げた。
 イルカは何も言わない。穏やかな表情の向こうで何を考えているのだろう。
 ひとのこころ。わからないからわかりたい。
「じゃあ、俺、もう行きます」
 イルカは大儀そうに立ち上がる。
「あ、うみの」
 思わず呼び止めてしまう。
 イルカはカカシを見下ろしたまま続く言葉を待つ。
 静かなその顔を見ていると、何を言えばいいのかわからなくなる。
 だから考えずに突き動かされた気持ちを口にした。
「また! また、会えるか?」
 なんて図々しい。けれど願う。
 カカシは必死に、食い入るようにイルカを見た。たいした時間ではなかったのだろうが、カカシにはひどく長い時間に感じた。
 結局イルカは何も言わなかった。そのまま後じさり、カカシにもう一度頭を下げると、部屋を出て行った。





 はたけカカシの罪状。
 未成年者に対する強制わいせつ。
 被害者であるうみのイルカの保護者をかってでている三代目火影は厳罰を望んだが、うみのイルカ自身による訴えの取り下げにより、ひとつきの独房での謹慎と減俸にとどまった。
 臨時で担当したクラスの生徒たちは一名を除いて皆無事卒業。それぞれの道を歩むことになった。

 そして。
 自主退学した一名の生徒とうみのイルカの姿は里から消えた……。




 

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