それはセンセー (カカシver.) 3







「ご苦労じゃったな、カカシ」
 いつもと変わらぬ火影の執務室の前で、カカシは試験の結果をまとめた書類を提出した。ところどころぐちゃぐちゃに握りつぶされた紙を火影は特に何も言わずに受理した。
「十九名の受験者の中で不合格は一名です。評価についてはその紙に書いてありますんで」
 いつものように軽口をたたく気にもなれずにカカシは機械的に告げた。
 煙管から煙を吐き出した火影も真面目な顔で問いかけてきた。
「イルカは、どうした?」
 カカシは取り繕うこともできずにぴくりと肩を震わす。目を逸らして吐き捨てるように言った。
「泣かれましたよ」
 短く、告げた。
 泣きたいのはカカシのほうだ。泣かれただけならまだしも大嫌いだと言われた。さっきから胸がずきずきと痛んで仕方がないのだ。気のせいかと思ったが、ずっと痛い。
「嫌な役目を負わせたなカカシよ。すまなかった」
 ふて腐れたようなカカシを気遣ってか、火影は謝罪の言葉を口にしてかるく頭を下げた。
 さすがに大人げなかったかと、カカシは溜息に紛らわせて聞いてみた。
「これで、あの子の父親は満足なんですか」
 あの生徒の不合格は試験を受けなくても決まっていることだった。
 今朝試験管を言い渡されたカカシは、この執務室で中年の上忍と引き会わされた。いくさ場を駆け回っているというその男は、歴戦の強者を思わせる鋭い目をした忍だった。
 そんな忍が、いきなりカカシに頭を下げた。
 自分の息子を不合格にしてくれと、頭を下げたのだ。
 わけがわからないカカシが火影に助けを求めると、溜息をついた長に事情を説明された。
 今朝早くに火影の元を訪れた男は、開口一番告げたという。
 息子のチャクラを破壊した、と。
 時代の要請もあり、幼い頃に忍になって九尾の災厄も身をもって経験した男は、忍であるが故に妻も亡くしていた。そんな男の望みは、子供たちの誰も忍にだけはしないことだった。幸い、長男以外の子供達は父の教えを守って誰も忍になるとは言い出さなかったが、長男だけが才能があまりないにも関わらずなかなか諦めようとしなかった。
 何度も辞めさせようとした。けれどいつも押し問答になり、最終的に男が選んだのは、力を持って息子を止めることだった。
「チャクラを破壊したってこと、一生黙ってりゃあいいんですがね……」
「いや、あの者の性格からして、頃合いを見て告げるじゃろうな。他人に憎まれ役を押しつけたままでいることを良しとしない男だ」
 男は最初から本当のことを息子に告げようとしていた。だが火影とカカシが止めた。努力してきたのだ。試験は受けさせてやりたい、と。そしてもしも、もしもだがチャクラが完全には破壊されていなかったのなら、合格させてやりたいと、カカシは思っていた。
 だが結果はこの通り。男の術は完璧だった。
 5人に分身してみたものの、あれが最後の火花だった。
 確かにあの生徒は少し出来が悪かった。それは才能と言われるものなのかもしれないが、努力で補える部分もある。それをカカシは信じてもいい気持ちになっていたのだが、チャクラを破壊してでも忍の道を諦めさせたい親の気持ちとやらも尊重してやりたい気もする。結局カカシはどっちつかずにしかなれない。色々なことが一時に起こりすぎて、さすがのカカシも今日はもう休みたかった。
「火影様、俺帰っていいですか?」
「そうじゃな。ご苦労だった。ああ、そうだ、カカシよ。お前に言っておかねばならぬことがある」
「なんですか? 俺ホントに疲れてるんで手短にお願いしますよ」
 どこかで聞いたような台詞だ。今頃イルカは仲間達とカカシのことを散々に罵っていることだろう。
 踵を返しかけたカカシは投げやりに振り向いた。そこに火影は思いがけないことを告げた。
「さきほどの伝令でわかったのじゃが、霧隠れとのいくさは終わった。国同士の外交で終結した。もうおぬしが戻る必要のあるいくさ場はない」
 一瞬、何を言われたのかわからなかった。ゆっくりと、ゆっくりと、火影の言葉の意味を理解した時には詰め寄って、机に両手を打ち付けていた。
 自分の顔が強ばるのがわかった。
「もちろん、あいつらを皆殺しにしたんでしょうね?」
「木の葉の部隊は十名、霧のほうは十五名。それが終結宣言が出たときの生き残りじゃ」
 カカシはかっと目を見開いていた。
 カカシが戦線を離脱した時は三十名はいたはずだ。敵は多分その倍くらいはいただろう。卑怯な手も、必要以上に残忍な手も使う奴らだった。仲間の中にはひどい拷問を受けた末に死んでいった奴もいる。そんな卑怯な奴らが、外交なんて生ぬるいことで生き残っただなど、とても、許されることじゃない。許してやるものか。
 ぎり、と歯がみしたカカシに火影は冷静に言葉を継いだ。
「復讐などというものが意味のないことだと、承知しているはずじゃな?」
「わかっています。だからこれから殺しに行きます」
「カカシ……。わしの言葉を聞いていないのか。いくさは終わった。お前がのこのこと出て行く場所はない」
「納得できません」
「納得してもしなくても、いくさは終わったのじゃ。これ以上無駄な血を流すな」
「無駄じゃありません!」
 こん、と煙管を打つ音がした。
 火影はカカシの激高を沈める為か、少しわざとらしく机に煙管を打ちつけた。
 食えない表情。皺の多い顔がカカシを見上げる。
「残存した者どもが国に戻るまでの間にもしもお前が里を出れば抜け忍として追い忍を放つ。容赦はせんぞ」
 笑っているが火影の声はすごんでいると言っていいほどに真剣だった。
「復讐なぞくだらんことじゃ。血を血であがなう連鎖は許さん。断じて、許さん」
 静かに告げられた声。
 諭すような響きにカカシは拳を握りしめる。
 火影として九尾の混乱から里を導いてきた長の言葉には重みがあった。
 火影はカカシ以上に失う重みを知っている。そんな人間の言葉にカカシが逆らえるすべなどない。だが素直に頷くにはカカシも様々な経験を積みすぎていた。
「……俺は、俺は認めませんからね。外交なんてクソ食らえだ!」
 怒鳴ったカカシのことを、火影は面白いものでも見るように目を大きく見開いた。
「わしは、お前はもっとクールな奴だと思っていたがな」
 火影は少しでもカカシの気を静めようとしているのかもしれないが、これ以上ここにいたら火影に対して悪口雑言を投げつけてしまいそうだった。
 カカシは今度こそ踵を返すと乱暴に戸を閉めて執務室を出た。
 廊下に出て、ぴたりと足を止める。
 こみ上げてくる行き場のない怒りにまかせて、右手の拳を廊下の壁に打ち付けた。
 カカシの拳を中心にして見事に木造の壁には放射状に亀裂が走る。木くずでも刺さったのかもしれない。じんじんと右手は痛みを訴えてきたが、胸の奥底にじんと広がる鈍痛に比べたらなんてことはない痛みだった。







 体にまといつくようなベールのような細かな雨。
 春先の雨は生ぬるい。体の奥深くに貯められたものにまとわりつく。
 慰霊碑の前で言葉もなくカカシは佇んでいた。
 音もなく降り続く雨の中に身を沈めていると、後から後から後悔がわき出てくる。
 ここしばらくの間生徒たちの指導に忙しくすっかり本来の自分を忘れていたことがなにより腹立たしい。カカシのいる場所は血の匂いが立ちこめるいくさ場だったのに。こんな、平和な里で子供たちと一喜一憂していた自分が情けない。
 考えても詮無いことだが、もしも自分が戻っていたのなら、敵を倒せたかもしれない。少なくとも、いくさ場にいたのなら、和平交渉の合間を縫って奴らを皆殺しにできたかもしれないのに。
 復讐は、馬鹿げたことだ。それは理性では重々承知している。
 だが理性なんてもので補えない部分が悲鳴をあげるのだ。
 見上げた空はどんよりと黒灰色に曇っている。ぐっと耐えるように歯をくいしばったカカシは、目を閉じた。



 そのままふらふらと向かったのは馴染みのない飲み屋。
 忍以外の職種の里の者たちがおもに使う店。喧噪の中、入ってきたカカシに店の者や一部の客達の表情がかげる。カカシが異質であることは火を見るより明らかだからだ。忍の支給服を着ていることはなんて事もない。唯一さらされた右目が胡乱で、それでいて鋭く、殺伐とした空気をまとっていたのだろう。
 カカシがカウンターに座ってからはそこに座る者はいなかった。つまみも頼まずに酒だけを次から次に頼んだカカシは浴びるように飲み続けた。ビールに始まり、日本酒、ウイスキー、焼酎と、酔えるならなんでもよかった。
 酒は強いほうだがさすがに2時間近くも飲み続けていれば意識がぼんやりとしてきた。
 うとうととしながらそれでも意地になって酒を飲んでいるうちに店は閉店の時間になり、腫れ物に触るような扱いで追い出された。
 外に出ると、さっと少し寒い風が吹き、濃い酒の匂いが自分の鼻をつく。
 ふらりとよろけた時に思い出したのはイルカの顔。
 イルカとの距離が一気に近づけたと思ったのはわずかに昨日のことだ。自分の過去を客観的に語ることができるイルカは充分に過去と向き合っていた。イルカは決して逃げていない。きっと今は冬眠のような時間なのだろう。
 失った教師のことがわからなかったから、だから他人のことをわかりたいと言っていた。
 そう言っていたのに、カカシのことをわかろうとはしてくれなかった・・・。
 憎々しげに睨み付けてきた黒い目が焼き付いている。
 カカシだとて、好きであの生徒を落としたわけではないのに。カカシが辛そうだったことがイルカにはわからなかったのだろうか?
 いや。わかってくれようと、しなかった・・・。
 そんな思考の渦に巻かれ出すと、イルカのことがとても理不尽で憎たらしい存在に思えてくる。
 あんなガキに振り回されていた自分が情けない。カカシは着火した怒りにまかせて、店の看板を蹴りつけた。
 木の看板は壊れることはなく派手な音をたてて倒れただけですんだが、店の者が出てくる前にその場を後にした。
 痛む頭を抱えたままで走る。
 目指すのはアカデミー。私物を回収して、あんな場所から少しでも早く自らの存在を消してしまいたかった。もともとカカシはいくさ忍だ。そもそもアカデミーなんて平和ぼけのはなはだしい緩い場所にいるべきではなかったのだ。きっとあそこにいたからイルカとの間に通うものがあると勘違いしてしまったに過ぎない。
 そう。勘違いだ。生徒たちがかわいく思えたのも。教師に向いているかもしれないと思ったのも。
 イルカに、惹かれたことも・・・。



 暗がりのアカデミーに侵入した。
 当直の教師の見回りも一定の時間をおいて朝までに数回しか行われないから静かなものだ。夜目がきくから明かりをつけずに机の上をかたづける。私物はほとんどないから、貸してもらっていた資料をまとめて室長の机の上に置いた。おざなりではあるが机をから拭きして、引き出しに入れていた仲間の写真を手に出て行こうとしたカカシだが、一瞬自分の目を疑った。
 写真が、ないのだ。何も入れるもののない引き出しに唯一入れておいたシルバーの写真たてが、ない。がたがたと音をたててすべての引き出しを開けた。
「ない……ないっ!」
 カカシは片手で髪をかきむしった。はかなくなってしまった仲間の姿はあの写真にしか残されていないのに。大切な思い出だというのに。
 このところ本当に忙しかったから、知らずどこかに持っていってしまったのかもしれない。自宅に持って帰ったかもしれないが、まずはアカデミーで考えられる担当していた教室に向かう。そこにあるかもしれないという期待を持って駆けた。



 無惨にも、写真は教壇の上で見つかった。
 フレームはどこにもない。写真はぐしゃぐしゃに丸められたのがまた広げられ、その上にはクナイが突き立てられていた。
 カカシは脳が真っ白に浚われてしまったような気がした。
 きーんと耳鳴りがする。頭はずっと痛んでいる。勝手に動いた手はクナイの刃の部分を掴んで写真から引き抜いていた。ちり、と手には痛みが走って血が伝う。
 クナイに裂かれた仲間の顔。しわがよって表情が崩れてしまった仲間の顔。必死でしわを伸ばす。震える手に力が入りすぎて、ぴり、と破けてしまった。
 こみ上げてくる吐き気にカカシの口は震える。それをおさえる為に奥歯を噛みしめて、ベストの胸元をつかむ。
 何をどう思考していいのかわからず、ただ脳裏にはいくさ場の灰色の寂れた景色が点滅し、血の匂いが、そこにまじる。
 カカシは自問自答する。
 なぜ、どうして、こんなところにいるのだろう。
 仲間はどこにいるのだろう?
「センセー……」
 そこに飛び込んできたのはか細い声。
 ぎこちなく巡らせた視線の先には、闇に水滴を散らし、濡れそぼったイルカが戸口に佇んでいた。
「センセー、俺、これを……」
 イルカの手には、フレーム。間違いなく、写真がおさめられていたものだ。ガラスの部分は砕け散り、歪んだ銀の枠がみじめな姿をさらしていた。
 カカシは思い出していた。
 昼間、カカシのことを見上げた黒い目を。どす黒い目を。
「俺、昼間は」
 口を一文字に結んで、イルカは言葉を止めた。
 イルカは一体何を考えているのだろう。人の心というのは本当にわからない。顔色だけで推測しても間違っていることだってある。いや、間違いばかりだ。なぜなら他人だから。自分にだって自分の心がよくわからないのだから。人の心なんて、わかるわけがないではないか。
 だが、今のカカシにわかることはある。
 タイミングの悪い人間というのが世の中にいるということだ。
 そこにいあわせなければ死なずにすんだのに。災厄にあわずにすんだのに。偶然にもそこにいたが為に、取り返しのつかないことに巻き込まれる人間。
 カカシはイルカにむけてにこりと微笑んだ。まるで温かな陽の光の下で目にするような穏やかな笑顔だっただろう。
 全身で緊張していたイルカの気配が不意にゆるむ。
 おいで、とカカシは手招きした。
 心の奥に闇のように黒い気持ちを渦巻かせて、手招いた。




 

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