それはセンセー (カカシver.) 6







 臨時教師の任を終えたカカシは処罰のあと、暗部と上忍としての仕事半々でまた現場で働きだした。
 以前と何もかわらない日々。
 淡々と任務をこなし、時には仲間と馬鹿みたいに騒いだり、瞬く間に季節は巡る。ただカカシはどんなに仲間に誘われても、木の葉のディープな繁華街にだけは一度たりと足を運ばなくなった。
 好きな人間がいるから、と短く告げるカカシを最初はからかい気味だった周りも、カカシの声と表情があまりに静かで秘められているから、そのうちに何も言わなくなった。





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「俺が言うのもなんですが、い〜んですか? また俺なんかにまかせて」
「わしは反対じゃ! 今もって反対じゃ。じゃがお前は鼻がきくからな」
 火影はやる気のないカカシの声に応えてぎろりと睨み付けてきた。
 あれから一年。
 また春が巡ってきた。
 この一年の間順当に、真面目に任務をこなしてきたカカシに火影から呼び出しがあった。
 この春卒業した下忍たちの上忍師をやれと。
 聞けば九尾の器であるうずまきナルト、うちはの生き残りのうちはサスケが入っているマンセルだという。確かに自分が受け持つのが適任だとは思うが、カカシは今ひとつ乗り気ではなかった。今更自分が教師などしていいのかと、思うのだ。
 イルカがあの事件の後どこに消えてしまったのか、ほとんど脅しのようにして火影に問い質した。
 火影はしぶしぶながらもイルカは訳あってしばらく里を離れていると教えてくれた。だがもちろんそれ以上のことは一切教えてくれなかった。まあカカシがイルカにしでかしたことを考えれば、火影の闇討ちに遭わずに生きているだけでも幸運と言うべきか。もちろん、それもこれもイルカのおかげなのだが。
 この一年、イルカのことをなるべく考えない為に任務に励んだ。イルカに会いたくて仕方ない気持ちを抑えつけて過ごしてきた。
 だが一人で過ごす夜などは自然と気持ちがイルカへと飛んだ。
 イルカ、イルカ。イルカばかりでカカシは我ながらおかしくなってしまったのかと思ったくらいだ。けれどイルカでなければもう、他はいらなかった。
 上忍師をしぶるカカシだったが、火影の命令じゃ、の一言でしぶしぶながらも引き受けることになった。
 しかしやるからには真剣に3人の試験をした。
 簡単に、とはいかなかったが試験をクリアした3人は目出度くもカカシの生徒となった。
 そして始まる任務。ままごとのような任務をこなしながら、子供たちと身近に過ごすことでカカシの中には臨時教師をしていた日々のことが思いだされた。
 やる気のなかったカカシ。イルカのいたずら。イルカがきっかけで真面目に指導を始めた。イルカと夕飯をかねて何度も飲み屋に行った。
 イルカばかりがあの日々に溢れている。
 最後に思い出をぶちこわしてしまったのはカカシ自身だが、それでも間違いなくあの落ちこぼれたちとイルカと過ごした時は貴重でかけがえのないものだったのだと、心から、思うことができた。
 イルカへの罪滅ぼしのような気持ちもあり、3人のことは最初から熱心に指導した。いつか上忍師として恥ずかしくない気持ちをもてるようになったら、イルカに会いにいくことを火影は許してくれるだろうか……。
 櫻が散りゆき、そろそろ緑が濃くなり木の葉の里がをその名の通りに青く染まり始めた頃。
 ナルト、サスケ、サクラの3人と徐々にうちとけ始めたカカシに、火影からの呼び出しがあった。しかもカカシだけではなく、4人全員で、と。
「なんだよ火影のじいちゃん! 俺ってば修行で忙しいんだってばよっ」
 元気いっぱいに執務室のドアを開けたのはナルトだ。
 サスケ、サクラと続き、猫背のカカシが欠伸をしながら部屋に入る。そして視界に飛び込んだきた人物に、その場で固まる。
 なんと腰かけた火影の横には、イルカが立っていた。



 イルカのことを思いすぎて頭がおかしくなって幻でも見ているのだろうか?
 カカシは、瞬きも忘れて、真っ直ぐにイルカのことを見た。
「カカシ先生? どうしたんですか?」
 入り口で立ち止まったカカシをサクラが振り返る。
 ぎくしゃくと3人の後ろまで移動した時、カカシの手と足は同じ側が一緒に出ていた。
 イルカ。イルカが目の前にいる。
 1年前より少し頬の線が鋭くなっただろうか。頭のてっぺんで結ばれた髪は変わらず元気よく天を向いている。カカシとは視線が合わないが、親しげな顔で3人のことを見ていた。
「この者はうみのイルカと言ってな…」
「あー! 俺知ってるってばよっ」
 火影を遮ってナルトが大声を上げる。イルカのことを指さす。
「俺、遊んでもらったことあるってばよ! 兄ちゃん去年アカデミーにいただろ?」
 喜々としたナルトは身を乗り出した。
「忍者ごっこしてくれたじゃん、イルカ兄ちゃん!」
 イルカはふわりと笑んで、ナルトの頭にそっと手を載せた。
「元気そうだなナルト。お前ぇも下忍だって? 頑張ったな。おめでとう」
 ぱあっとナルトの顔が輝く。
 イルカの静かな笑みにどきりとしたカカシは、思わず心臓に手を持って行った。どんどんどん! と内側からたたき壊しそうな勢いで鼓動を刻む。
 頭にもかーっと血が上り、カカシは頭上から沸騰しそうだった。
 そんなカカシをよそに3人はめいめいに自己紹介をすませてしまった。火影が何か告げているがカカシの頭には全く内容が入らない。ただひたすらにイルカのことを見ていた。

「じゃあ、明日からよろしくだってばよ!」
 ナルトの大きな声が最後に三人は退出して、執務室は急に静かになった。
 残されたのは火影、イルカ、カカシ。
 3人がいなくなったことで急にカカシは落ち着かない気持ちになる。イルカからの視線を感じるのに、俯いたまま、何も言えない。
「カカシよ。お前は何を今更純情ぶっておるのじゃ」
 火影は溜息とともに呆れかえった声をだした。カカシはむっとした。イルカに対しては純情ぶってるわけではなくて、本当に純情一直線なのだ。確かに、暴走して、ナニを致してしまったが・・・。
「はたけセンセー」
「ははは、はいっ」
 裏返った声で返事をしていた。思わず顔も上がる。イルカが、イルカの声がまた“はたけセンセー”と読んでくれた。それだけで天にも昇る心地になる。
 イルカは唇を一文字に結んで、カカシのことを凛々しく見ていた。少年に特有の負けん気が多く含まれる鮮烈な瞳。カカシの背筋は自然と真っ直ぐにのびる。
「お久しぶりです。ご迷惑おかけしますが、しばらくの間、よろしくお願いします」
 イルカは頭を下げた。しかしカカシは意味がわからず火影を見た。火影はじろりと睨みつけてきた。
「さきほど説明したじゃろうが。聞いていなかったのか?」
「すみません。全く、聞いてません」
 ぴき、と火影のこめかみに青筋が走る。鼻の穴がうごめいて盛大に息を吐く。
「わしは! 本当に! 心の底から! まっこと不本意なのじゃがなっ!」
 火影はそんな前置きのあと、告げた。
 イルカは今年の中忍試験をやっと受験する予定だという。しかしこの1年のブランクがあるから、体を慣らす為にカカシたちの7班にしばらくの間世話になるという。イルカの、たっての希望で。
「わしは本当に今でも反対なのじゃ。よりによって前科者のお前に……」
 火影がぶつぶつと言っているのをイルカが宥めている。
 しかしカカシの耳には火影の嫌味など一切聞こえてこなかった。
 どうしてイルカはカカシを選んでくれたのだろう。怖く、ないのだろうか?
 イルカのことを強姦してしまったのに。
 そんなことを悶々と考えていたカカシは気もそぞろなまま、火影の執務室を後にした。その後をイルカが無言で付いてくる。
 イルカの気配。1年前と変わらない。まるであんな事件などなかったかのような錯覚に陥る。イルカがそばにいる、それだけでふわふわとした気分になる。
「うみの」
 カカシはそんな浮ついた気分のまま振り向いた。ぴたりと止まるイルカの足。向かい合う。その目線。見下ろしていたはずのイルカの頭部。顔を斜め上に上げていたイルカ。なのに今は二人の視線はごく自然に絡む。
 カカシの高揚感は急激に萎える。間違いなく1年経っている。イルカが不在だった1年。その原因を作ったカカシ。イルカはあの時のことを少しは許してくれたのだろうか。
「うみのは、この1年、どうしてたんだ?」
 気まずい心を隠したまま、それでも気になっていたことを訊いてみた。
 イルカはふいっと横を向いて遠くを見た。窓からの陽差しに目を細める。
「あいつと一緒に、旅してました。あいつ、なんか親父さんと色々あったらしくて、見てらんなくて、だから俺、無理矢理ついて行きました」
 さらりとイルカが告げた言葉にカカシは、ちり、とかすかに胸が焼けるのを感じた。イルカはもちろん友達を思って行動を共にしたのだろうが、イルカにそばにいてもらえたあの生徒のことを羨ましく思う。
 妬ましい気持ちをおさえて、肩から力を抜いたカカシは頷いた。
「そうか。それで、あいつは、どうした」
「もう大丈夫です。親父さんとも仲直りできました。旅してる間に興味もてたことがでてきたんで、そっちを目指すって。今度はたけセンセーにも謝りたいって言ってましたよ」
「いいよ。そんな、1年も前のこと……」
「そうですね。1年、経ったんですよね」
 イルカはカカシの言葉に穏やかに同意する。肩を竦める仕草が妙に大人びて、それでいてまだ細くはかなげなままの首筋にどきりとする。
「うみの、あの、俺のこと……」
 言葉に詰まるカカシをイルカは見つめた。変わらぬ真っ直ぐな視線にカカシは言葉を失う。イルカの前だとカカシは何もうまいことが言えなくなってしまう。まるで初めて恋をした者のように。
「センセー、1年ですよ」
 カカシは首を傾げる。イルカは鼻の傷を指先でかいた。
「1年も、前のことですよ」
 イルカの遠回しな言葉。
 それをカカシは自分本位な解釈で理解してしまっていいのだろうか。今目の前にイルカがいて、カカシに指導されることを選択してくれた事実を、素直に前向きに受けとめていいのだろうか?
 何も言わずにたたずんだままのカカシをイルカは追い越した。
「じゃあ、明日から、お世話になりますね」
「うみの!」
 引き留める。イルカは振り向く。カカシはついイルカの手首を掴んでしまったが、イルカの体は強ばらなかった。
 意を決したカカシは急いで口布を下げると、勢いこんで聞いた。
「俺も、うみののこと、“イルカ”って、呼んでもいいか?」
 そんな他愛ない一言を告げただけなのに、体中からどっと汗が噴き出る。汗ばむ手が申し訳なくて、急いでイルカの手首を離した。
 無言で向き合っているが、カカシの心臓は破裂寸前だ。外から吹き込む風が生ぬるく、ぬけてく。
 馬鹿なことを訊いてしまったかとカカシが後悔に苛まれそうになった時、イルカの口元が柔らかな曲線を描いた。



「呼べばいーじゃん。あんたは俺のセンセーなんだから」