■冬の陣前夜






 29日、仕事納めの日、イルカたちアカデミー教師、事務員たちは16時に仕事を終わらせ1年の締めということで繁華街の店へ繰り出した。
 12月に入って何回か慣行済みの忘年会も大詰め。本日がほんとのほんとで最終日。アカデミーとは関係のない友人知人も取り混ぜて50人ほどが集まっての大宴会だ。
 イルカも気の合う仲間と大騒ぎに騒いで、あっという間の楽しい3時間を過ごした。
 始まりが早かったおかげでほぼすべてのメンバーがそのまま二次会になだれこみ、そこでもまた思う存分飲んで気づけば0時を過ぎていた。
 さすがにそこからはちりぢりとなり、それぞれが気の合う者同士で三々五々散っていくなか、イルカは最近お気に入りのガールズバーに一番仲のいい数人と向かおうとしていた。実はボトルもキープ済みでお気に入りの女の子もいる。イルカ程度の稼ぎの人間にちょうどいい良心的な価格設定も気に入っていた。
 今日はものすごく気分がいい。キープ済みのボトルは開けて、少し高めにのボトルをキープしてやろうかと高揚した頭で鼻の下がでろんと伸びていたイルカだが、不意に首根っこをつかまれた。
 途端に硬直する傍らの仲間たち。
 イルカはぶら下げられたままくるりと振りかえれば、オタク上忍のカカシがいた。
「あれ〜カカシ先生。どうしたんですかあ?」
 酒臭い息で問いかければ、カカシはにっこりと微笑んだ。
「イルカ先生。明日がなんの日か、よもや忘れたわけではないですよねえ?」
「明日ぅ〜? 明日は俺の貴重な冬休み最初の日でーす」
 へらへらと笑って応えれば、カカシの笑みは一層深くなった。そのままの表情でイルカの仲間たちに顔を向ける。
「イルカ先生飲み過ぎてるみたいだから俺が送っていきます。悪いけど、ガールズバーはまた今度でいい?」
 いいも悪いもあったものではない。静かな殺気を放つカカシに全く気づかないイルカをよそに、仲間は頭を下げるや蜘蛛の子を散らすように去っていった。



「ちょっとカカシ先生! ひどいじゃないですか! 俺今日ミユキちゃんに約束したんですよ。お店行くって。仲間も連れて行くって!」
 アルコールの染み渡った頭で思考が停滞している間にイルカはカカシの家に運ばれていた。寒々とした部屋にだんだんと思考が停止状態から稼働し始めて、楽しい繁華街から野郎二人でひとつの部屋にいるという楽しくない状況に気づきイルカの頬はふぐのようにふくらんだ。
「こらー! 横暴オタク上忍! ぶうぶう!」
 口を尖らせたイルカの眼前に突きつけられたのは、1枚の紙。そこには見知った自分の字で「無理!カカイルなんて書けないてへぺろwww」と子供たちの間ではやっている言葉を無理に使った感満載の一文が書かれていた。
 それは数日前任務先のカカシに電文鳥を通じて託したものだ。
「イルカ先生。コレは一体どういうことですかねえ?」
 カカシは笑っている。おそろしくオトコマエの顔で笑っている。けれど口の端は引きつっている。
 そこでイルカはふと思い至ることに口が開いた。
「え? ちょっと待ってくださいよカカシ先生。確か急な任務で年内ずっとかかりきりじゃなかったでしたっけ? Sレベルですよね? なんでここにいるんですか敵前逃亡ですか!? え? ええ? それとも幽霊!?」
 イルカは思わず手を伸ばしてカカシの頬をぎゅむとつまんだが、カカシにぺちりと頭を叩かれ次には容赦ない力で両頬を横にひっぱられていた。
「任務終わらせて飛んできたんですよ! もともと冬コミに間に合わせるつもりで鬼のように敵をぶっ倒してたんです! そこに届いたイルカ先生の手紙! もう頭に血がのぼってそのあとそりゃあ大変なことになりましたよ。凶悪な奴らでしたが目の前が真っ赤になる俺の怒りに当てられて、にしてもひどいだろうって最期でしたからねぇ。もしあいつらが恨んででてきたらすべてイルカ先生の元にいきますから覚悟しといてくださいね! あしからずご了承下さい」
 カカシは乱暴にイルカの頬から手を離す。ひりひりと痛む頬をさすりながらイルカは呟いた。
「そんなめちゃくちゃな……」
「めちゃくちゃあ? はあ? それはこっちの台詞ですよ。オタクなめんなっつぅの! もともと絶対にコミケに間に合わせるつもりでしたがイルカ先生のおかげで今夜中に帰ってこれましたよ!」
「それは、よかったですねえ」
 いつもと違うテンションで怒っているカカシにさすがのイルカの酔いも醒める。とりあえず怒りの原因の一端は自分にあるのだろうと思ったイルカはおずおずと切り出した。
「あの〜ちゃんと明日売り子として行く予定でしたよ?」
「どうだか! さっきなんの日かきいたら冬休みって言っただけじゃないですか!」
「いやだってほら、俺がプチオタクってことは内緒なんですから」
 と言いつつ実は少しばかり忘れていたのだがそれは内緒だ。
 カカシは不信感丸出しの目でイルカを見ている。へらりと作り笑いをみせれば「正座!」と一喝された。
 なんだよなんなんだよ、と内心では文句たらたらだがとりあえず大人しく正座するイルカだった。
「イルカ先生。どうして俺が怒っているかわからないんですか?」
「はぁ。申し訳ないけどわかりませんねえ」
 反抗的に告げれば、カカシは重苦しいため息を落とした。
「イルカ先生。二ヶ月ちかくあってどうして短編のコピー誌ひとつ書けないんですか」
「それですか……」
 イルカもため息を落とす。そしてそのことならと開き直った。
「だからあ、俺はカカイルじゃないんですってば! 俺とカカシ先生がくんずほぐれつする話なんてやっぱり書けないんですよ!」
「エロ書けないならギャグ書けばいいでしょうが! もしくはほんわかした話でもなんでもとにかく二人の関係がちょっと特別かなって話でいいじゃないですか!」
 カカシの反論にやれやれとイルカは肩を竦めた。
「あのねえカカシ先生。ギャグは難しいんですよ。ほんわかした話? それは要するに友達っぽい感じの話ってことですか? そんなの誰も読みたくないでしょうが。カカイル子さん他大手の方たちの本みればわかります。カカイラーの人たちはエロを求めて山奥や他国からやってくるんですよ? 俺みたいなぽっと出の便乗プチオタクがつまんない話書いてコピー誌作ったって紙の無駄ってもんですよ。便所の紙にもなりませんよそんなもの。カカシ先生もさんざんいってたでしょうが、みんなエロ求めてるって。」
「そんなことありません。年に2回のコミケにだけ気合い入れてくる人たちはどんな話でもとにかくカカイルであればってくらいに飢えているんです。数の勝負ですから! 俺なんてすべてのサークルさんの新刊買うつもりですからね」
「またまたきれい事を〜。じゃあカカシ先生に訊きますけど、エロ、ギャグ、普通のなんてことない話で買う優先順位つけるなら絶対に普通の話が最後でしょ? つうかそもそもカカシ先生のカカイル新刊どエロじゃないですか。サイトの試し読みだけですっごく盛り上がってるじゃないですか。なのにどのツラさげて普通の話でもいいとか言いますかねえ」
 イルカが鼻で笑ってやれば、カカシはいきなり傍らのテーブルに拳を打ち付けた。みしりとテーブルにひびが入る。
 のけぞるイルカにカカシは指を突きつける。
「いいですかイルカ先生。あなた夏コミ終わった時にいいましたよね。目指せカカイル大手って。でもって9月のカカイル祭りの時にコピー誌承諾したじゃないですか! なのに今更書けないなんて、おてんとさまが許しても俺は許しませんよ! 俺サイトで相方の『いるーか』はコピー誌出しますって告知済みですからね!」
「相方? は? 俺たちいつお笑いコンビ結成しましたっけ? つぅか『いるーか』って誰っすか」
「『いるーか』はイルカ先生が同人作る時のオタクネームです!」
「は? 趣味わりぃなあ」
 思い切り嫌な顔をしたイルカをカカシはぎらりと睨み付けた。
「とにかく! 明日ギリ出発まで徹夜でコピー誌作成しますよ! ひとさまにお代をいただけるようなものでなければ無料配布でいいですから!」
 言うやいなやカカシはパソコンを立ち上げる。
「ちょっとちょっとカカシ先生〜」
「先月ちょっとだけ書いたの送ってくれたじゃないですか。その続きでいいです」
「ええ〜。あの続きどうしたかったかなんて忘れちゃいましたよ〜」
「今からひねりだせばいいでしょうが」
「カカシせんせ〜どうしてそんなにムキになるんですかあ」
 さすがにイルカはうんざりしてきた。
 確かに夏コミの後、高揚感も手伝って冬コミ参加を了承し、その後なんだかんだでコピー誌作成も了承してしまったが、イルカはあまり深刻に考えていなかった。もし書けたならという程度でいたのだ。カカシから冬コミに受かったときいた後は真剣に話をひねりだそうとイルカなりに取り組んだのだ。けれどどうしても書けなくて、任務先のカカシに事前に伝えたのだ。まあ、少しばかりふざけたことは反省するが。
「そもそも冬コミ申し込んだのはカカシ先生のサークルで、カカシ先生はオフセットで150ページもの新作書きおろしどエロ満載シリアス書いたんだしサイの表紙はめちゃくちゃいいしで200部完売は約束されてますよ。きっと200じゃ足りないくらいですよ。だからいいじゃないですかそれで〜。俺頑張ってきりきり売り子しますから〜。あ、今回はKNH58のパユユ似で変化しようと思ってます」
 最近のはやりに乗ろうとチョイスしたのだ。
 変化に思いをはせるイルカにカカシはじいっと重い視線を注いできた。
「イルカ先生、あなたはわかっていない」
「わかってない? 何をですか?パユユの特徴はばっちり研究済みですよ」
 カカシはイルカに向き直ると背筋を伸ばした。カカシの真面目な顔にイルカもついつい姿勢を正す。
「いいですかイルカ先生。コミケは普通のイベントとは違うんです。火の国はもとより他国からおそろしい数の申し込みがきます。みんな宝クジに当たるのを願うような気持ちで当選することを祈るんです。特に実績がない弱小やら初参加のサークルはもうありんこみたいなものですから受かったら何年か分の運を使い果たすくらいのものなんです。その運試しをくぐりぬけて受かったのなら! 受かったのなーらー!」
 カカシはくわっと目を見開いた。
「新刊出すのが礼儀でしょうがコンニャロー!」
 があんとイルカの脳天になにかが降ってきた。コンニャローと恥ずかしげもなく口にしたカカシのその気迫に打たれた。
「そりゃあね、申し込んだのは俺ですよ。でもイルカ先生はコピー誌をだすと言ったんです。告知したら楽しみだって言ってくれてる人もいるんですよ? それを裏切るんですか!?」
「いや、裏切るなんてそんな大袈裟な……」
「たっくさんの人が落選の通知を受けて涙を飲んだんです。なのに受かった者が新刊ださずに既刊だけなんてひどいじゃないですか。俺が実行委員だったら新刊新作義務づけますよ」
「でもほら、人にはいろいろ事情があるわけですし、出すつもりでいても、ねえ」
「そうやって計画性のなさを棚にあげるのはどうかと思いますが! 落選がない普通のイベントとは違うんですっ」
「先生質問です」
 はいっと勢いよく手をあげればカカシはどうぞ海野くんとこたえた。
「お怒りはごもっともですが既刊でもあれば充分ではないでしょうか? コミケにしか参加しない人たちにとっては新刊みたいなものですし」
「コミケは特別だからこそ新刊が! 新刊こそが必要なんです!」
 しんかんしんかんとうるさいカカシにイルカは首をかしげた。
「なーんかカカシ先生恨み節ですねえ。なんかあるんですかあ?」
 イルカの問いかけに、カカシはいきなりしょぼんと肩を落とした。
「イルカ先生、夏コミで買って大感動した四代目に片思いで最後怒濤のカカイルになる『イルカ』の話、覚えてます?」
「もちろんですよー! たまに読み返すくらいですから!」
 一気にテンションを上げたイルカにカカシは寂しく笑いかけた。
「あの作家さんが、今回冬コミに申し込んでたんですよ……」
「ええ!? マジっすか? それで、受かったんですか?」
「受かったら、書きおろしカカイル新刊出すって宣言してたんです」
「書きおろし〜? すごいじゃあないですか!」
 イルカの目がきらきらと輝くのに反比例してカカシの目は暗くうち沈む。
「落ちました」
「え!? じゃあ新刊は?」
「落ちたんだからあるわけないじゃあないですか。どうしてもオフでだしたいものらしくて来年の夏コミ受かったらに変わりました。普段忙しくて普通のイベントにはでれないみたいなんです」
「えええええええ! そんなああああああ!!!」
 がくりとイルカは床に手をついた。
「他にも俺がすっごく楽しみにしていた方たちがことごとく落ちてるんです。そういう方たちに限ってオフなんてレアなんです。それなのにことごとく落とすなんて実行委員たちを闇討ちにしようかと本気で思ったくらいです!」
 憤るカカシにイルカも声を上げた。
「どうして委託どうですかって声がけしなかったんですか! 馬鹿! カカシ先生の馬鹿!」
「メールしましたよ勇気をだして! でもみなさんそこまではしなくてもって、断られたんですよ〜〜〜〜〜!! 俺、自分の本なんて端っこにおいて売るつもりだったのにーーー!!」
 くうと男泣きのカカシにイルカも目が潤む。そして怒濤のごとくおのれのいい加減さに対する怒りがこみ上げてきた。
 馬鹿! 俺の馬鹿!
「カカシ先生!」
 顔をあげたイルカはカカシを押しのけてパソコンの前に座った。
「俺、書きます。コピー誌書き上げます。エロくて感動なの書いちゃいます!」
「イルカ先生……」
「確かに受かった者が新刊ださないなんて許せませんよね。俺たち受かったサークルは落ちたかたたちの無念を抱いてコミケ会場に乗り込むようなものですよね。みなさんの無念を晴らさないと。みなさんの気持ちに応えないなんてオタクやる資格ないってんだチクショウメ!」
「イルカ先生その意気です! 俺、いくらでもバックアップしますからね!」
「後方支援、頼みます!」
 ぶわあああとイルカの全身から炎が吹き上がる。この冬一番の冷え込みとなる予報なのだが今の二人には暖房など必要なかった。
 決戦前夜、オタク二人の夜は更けていく……。



 そして。
 二人は会場までの森を走っていた。忍者としての力を総動員して走っていた。サークル入場までぎりぎりの時間が迫っている。
 イルカはパユユ風、カカシは今回はショートカットの美少年風な美少女で。だが二人の目は血走っていた。いわゆる完徹したのだ。
「ちょっと、イルカ先生! 結局朝チュン落ちじゃないですか! ちゃんと描写してくださいよ! このヘタレ『カカシ』に最後くらいいい目みさせてやってくださいよ! 強気『イルカ』をひいひい言わせてくださいよ!」
「俺だって、そのつもりでいましたよ! でも、でも仕方ないじゃないですか!」
 カカシに負けじとイルカは叫んだ。
「そこにいくまでに50ページついやしちゃったんですからああ!」
 そうなのだ。
 意気込んで書き上げたはいいがコピー誌でだすのはどうかというページ数になってしまった。
 この気合いが印刷所に放り込める期限までにでてればと悔やんでも遅い。
 ぎりぎりコピーできたのはわずか十部。
 コピー誌は落としたというべきか、先着にするか、いやそもそも留められずに折っただけのものをどうしたらいいんだと途方に暮れる二人であった。





 




久々読み返したら自画自賛であほだと思いますが、くだらなくておもしろかったです。本気半分フィクション半分ってところかな(笑)。