僕忍(ぼくにん)−イルカ− 起






「カカシせーんせー」
 窓枠に立ったナルトは部屋の中の大きなベッドの丸いかたまりに声をかけた。
 ナルトの声にもそりとかたまりは揺れたがまたそのままただのかたまりとなる。
 仕方ないとばかりに部屋に入ったナルトはかたまりの頭、耳元で腹の底からの声を張り上げた。
「カカシ先生!」
 ついでとばかりに耳を引っ張れば、やっとかたまりは起きあがって人になった。
「あのね〜ナルト。俺は昨日まで1週間任務について、今日は久しぶりの非番。ゆっくりさせてよ」
「とっくに昼過ぎてんだけど。くの一のお姉さんは朝早くに出かけたし」
 ナルトは悪びれずに口にする。がりがりと頭をかいたカカシはとりあえずシーツの上にあぐらをかいた。男同士とはいえ、情事の跡が濃厚な下半身は隠しておく。
 ナルトもカカシが昨夜この家に泊まったことの意味がわかる年になったかと感慨深くじっと見ればナルトは首をかしげる。
「なんだってばよじっと見て」
「いやあ、ナルトくんも大人になったなと。さすが自来也さまの元で3年も修行しただけあるね〜」
「んなことはいいってばよ。それよりカカシ先生。お願い」
 そう言ってナルトは大げさに手を合わせた。



 気が進まないまま、カカシは相変わらず猫背のままアカデミー廊下を歩いていた。
 放課後のアカデミーは子供たちの姿はまばらで校舎自体もどことなく熱気が沈静していた。カカシにとっては馴染みのない場所だ。だが感じる居心地の悪さは決して場所のせいばかりでなく、引き受けてしまったナルトからの頼まれごとに起因しているのはわかっていた。
 ナルトはきょとんとするカカシに向かってまくしたてたのだ。
「イルカ先生が忍者じゃなくなっちゃうかもしれないってばよ」
 イルカ、と言われて一瞬カカシは誰のことかと考えてしまったが、ナルトの口にするイルカは一人しかいないではないか。ナルトの恩師の中忍イルカだ。
「イルカ先生がどうかしたのか」
「それがさー……」
 ナルトの語った内容はこんなことだった。
 一定期間任務をこなしていない忍たちに階級関わりなく定期試験を課すことになったと。そこで及第点をとれなければ降格、もしくは忍者をやめることになると。
「俺びっくりしたってばよ。綱手のばあちゃんに聞いたらイルカ先生その決まりを率先して決めたっていうし」
 ぶうたれるナルトからよくよく聞けば、アカデミー常勤の忍たちのほうから今回の件はもちあがったという。大蛇丸の襲撃で里が疲弊した際にさまざまな任務にかり出された。その時に実践から離れて久しい里常駐の忍たちは命を落とした者も多数いたし、薄氷を踏む思いで任務を遂げた者もいた。そこで、このままでは駄目だと誰からともなく監査の時期を設けた方がいいという話になっていった、とのこと。
「べつにさーイルカ先生はそんなことする必要ないってばよ。イルカ先生かわいいしって言ったのに」
「ナルト、今おまえかわいいって言ったか、イルカ先生のこと」
「言った」
 なぜかナルトは胸を張る。カカシはいろいろつっこみたかったが面倒になって置いておいた。
「まあ、とにかく、なんでイルカ先生が忍者じゃなくなるんだ。その試験を受けるんだろ」
「受けないかもって言ってる」
 しゅんとナルトの肩が落ちる。
「忍者じゃなくなってもアカデミーに勤められるかもしれないって。だから忍者やめてもいいって」
 図体が大きくなり、ずいぶん成長したと思ったナルトだが、三年前と変わらないあやうさがにじみ出る。ことイルカに関してはナルトはまだまだ子供ということなのか。
「けどなナルト。イルカ先生の意志がなにより大事だろ。イルカ先生が」
「駄目だってばよ」
 ありきたりであるがまっとうなことを言い出したカカシをナルトは遮った。
「イルカ先生はずっと忍者じゃなきゃ駄目。いつかイルカ先生と任務にでるってもの俺の夢なんだってばよ」
 ナルトはきらきらと目を輝かせた。
「俺の補佐ってことでイルカ先生と二人で任務に行って、俺のかっこいいとこみせてやるんだってばよ。イルカ先生超かわいい顔して俺のこと褒めてくれるの間違いなし」
 妄想に耽ってナルトは一人盛り上がってるが、カカシはさきほどから引っかかる。またナルトはかわいいと言った。あのイルカのことを。
「それで、ナルトは俺に何を頼みたいんだ。俺に説得とかは無理だからな。イルカ先生とは没交渉だし」
「イルカ先生の特訓してほしいってばよ」
 元気いっぱいナルトは頼み込んできた。



 上忍が教官として数日の訓練を施し試験に臨むという。別に訓練しなくてもいいそうだが、上忍がつくと試験の際の心証が違うらしい。簡単にいえばコネだ。
 ナルトに懸命に頼まれたということもそうだが、それよりも、興味がわいたのは確かだ。なぜナルトはイルカをかわいいと評するのか。惚れたひいき目だとしてもあのイルカがかわいいとは。
 ほほえましくなってカカシは口布の奥でにやけてしまう。
 そのまま職員室にひょこりと顔をだした。
「こんにちは。イルカ先生いますか」
 人がまばらな夕刻の職員室。かたむく赤い日が部屋に入り込んで時刻は徐々に夜の世界に移ろうとしている頃。カカシが呼ぶと、くつろぎ用のソファのところにたむろしていた数人の教師の中から顔を上げたのは呼ばれた本人イルカ。
「わざわざすみません」
 ぴょんと飛び上がったイルカは奥の方からわたわたと入り口まで駆けつけてきた。
 固く結ばれたしっぽはそのまま。にっこり笑ってカカシのことを見上げてきた。
「ナルトから聞いてます。あいつが無理言ったんですよね。すいませんでした」
 馬鹿丁寧に90度の角度で頭を下げる。背中はカカシの視線のかなり下にある。
「あのー。イルカ先生」
「はい」
 ぴょこんと勢いよく顔を上げる。そしてカカシのことを見上げる。カカシは見下ろす。
 その身長差30センチはあるだろう。
「あの、なんで。縮んでるの」
 カカシがそれしか言うことがなくてまっすぐに質問をぶつければ、イルカはぎゃっと飛び上がった。
「そうかあ。カカシ先生とはこれで会うの初めてですね。僕ぅ、これが本当の姿なんです」
 夕日のせいばかりではなく照れて赤い顔をしたイルカはへにゃっと笑って鼻の傷をかく。
「ぼく……」
「いや、その、パパとママに言われてたんですよ。お前も忍者になりたいなら、きちんとしろって。だから三代目に手伝ってもらってチャクラの量の調節で生徒の前とか受付とかは大きめにみせてたんです。でももう必要なくなったから、戻ったんですよー」
 えへへーとイルカは恥ずかしげもなく告げる。そしていきなり真面目な顔になり表情を曇らせた。
「あの、僕、万年中忍さんでいいんです。本当は、やめてもいいんです。ナルトが何か言ったかもしれませんが、僕はこのままでいいんで。カカシ先生も、僕の指導したふりでいいですからね。ナルトに悪いから試験は受けます。手抜きせずにちゃんと受けますから」
「あの、なんで、縮んで、でもって必要ないから戻ったってのは」
 イルカの言いつのることなど聞いちゃあいないカカシは自分の疑問をぶつけた。
「忍者やめれば任務につくこともないし、標準仕様で問題ないと思うんですよ。おじいちゃまも亡くなって、実際チャクラのコントロールとかも難しいし面倒になっちゃって」
 イルカはあくまでも悪びれずに告げる。カカシは呆けつつも過去に数える程度だが接したイルカを思い出していた。ナルトたちを中忍選抜試験に推薦する時、あの時イルカは熱血教師丸出しの顔で突っかかってきた。受付で報告書をだした時のカカシのリップサービスを真に受けてナルトの親のように笑ったっけ。
 そして今ここにいるイルカは発育途中の少年ののようなからだで邪気のない丸い顔をして笑っている。まるで別人。しかしこれが本来の姿だという。
 カカシはくらくらする頭を抱えた。
「あの、なんかよくわからないんですけど、イルカ先生は結局、どうしたいんですか」
 イルカはにっこりと満面の笑顔で答えた。
「僕? 僕はアカデミー勤務でまったり生活したいんです。忍者はもともとむいてなかったんですよ。血なまぐさいこと駄目なんです」
 確かに、目の前のイルカからは忍者の素養がかけらも感じられない。本当にかつてカカシが接触したことがある本人なのかといぶかしく思う。こしこしと目をこすってしまった。
「なので、僕の指導は必要ないです。カカシ先生も多忙な身の上。僕なんかにかまう必要ないですからね」
 それじゃあとイルカは背を向けたが思わずカカシはその首根っこを掴んでしまった。ぷらん、とイルカが宙づりになる。
「なにするんですかあ〜」
 つられたまま振り向いたイルカは口を尖らせてじとりとカカシを睨む。
「あ、いや、なんとなく」
「はたけ上忍!」
 そこに割って入ったのはさきほどまでソファでイルカとくつろいでいた面々だった。
 皆中忍だろう。男二人、女二人がカカシの手からイルカを引ったくってぎゅうとかばう。
「イルカ先生嫌がっているじゃないですか。イルカ先生はこのままアカデミーのアイドルでいいんです。放っておいてください」
 結構体格のいい4人にかばわれてイルカはまるで人形のように大人しくしている。
 確かに、ナルトに頼まれたこととはいえ、イルカ本人が必要ないというのだからカカシはさっさと退散すればいい。だが、なんとなく去りがたく思うのは、イルカの態度に原因があった。
 数えるほどの接点しかなかったが、カカシが好ましいと記憶したイルカは熱血で真面目すぎるほどの忍だった。それが、忍でなくていい。暢気なアカデミー職員でいいとは。
 忍でいてほしいと願うナルトに対して、そしてイルカを育てた里に対して裏切りのような気がするのだ。
「あ〜イルカ先生。俺、上忍なんだよね」
 知ってますよ、と答えたのは取り巻きたち。
 カカシはまっすぐにイルカを見て宣告してやった。
「上忍命令。あなたのこと、明日から特訓しますから。迎えに行きますからね」
「ええーーーーー!?」
 飛び上がったのはイルカ。こんな時ばかりは素早くカカシに詰め寄る。
「やだやだ。特訓やです。僕もう忍者は嫌なんですう」
「じゃあ今すぐやめればいいでしょうが」
「やめたいけど、試験は受けろって、五代目の命令なんだもん。試験受けてけじめつけないとアカデミーに居残らせてもらえないんだもん」
 うあーんとイルカが泣けば、取り巻きたちはどんとカカシを突き飛ばしてよしよしとあやす。
「大丈夫よイルカ先生。怖くないよ」
「ほら、イルカ。ぴよちゃんのぬいぐるみ」
「チョコレート食べる?」
「ほらほら泣くなって」
 ちーんと鼻をかんでもらって、ひよこのくたりとしたぬいぐるみを片手に抱いて、チョコを食べて頭を撫でて貰っている。
 目の前の光景にカカシはくらりと体がかしぎそうになるが、取り巻きフォーの鋭い視線に射抜かれる。
「はたけ上忍!!」
 長居は無用とばかりにカカシは背を向ける。
「じゃあねイルカ先生。明日迎えに行きますからね〜」
 しっかりと釘をさせば、うわーんと更に大きな泣き声が響いた。
「やだやだ。特訓やだー」