■金曜日






「イルカ先生、覚悟はいい?」
 カカシの手が伸びてくる。イルカの肩に触れた途端、イルカはびくりと震えた。
 さりげなく距離をとれば、カカシはイルカに体を密着させてきた。
「ダメだよ。逃げないで……」
 カカシの口がイルカの頬に近づき、吐息がかかる。
「イルカ……」
 そこが限界だった。
「さわるなああああああ!」
 カカシを突き飛ばそうとしたが、その前にカカシは体をかわしていた。イルカはベッドから転げ落ちていた。
 顎を打ってしまう。痛みに耐えて起きあがれば、カカシが呆れかえった顔でため息をついた。
「イルカ先生、どうするんですか。本番は明日なんですよ」
「わ、わかってますよっ」
 イルカは叫んで、そしてそのままベッドに寄りかかってさめざめと泣き出した。
「わかってますよ。でも。でもでもでもでも! 仕方ないじゃないですかあ」
 あうあうとイルカが泣き濡れると、カカシがよしよしと撫でてくれる。
 その優しさにつけ込むのは今だ、と、顔をあげたイルカはカカシの手をぎゅっと握りしめた。
「あのシーンだけ、CGとかスタントを雇うとか、できませんか?」
 瞳に念を込めて、うるうるとカカシを見つめた。カカシはにこりと笑って頷いた。
「だ・め。お仕事でしょ」
 カカシにあっさりと切り捨てられたイルカは途端にカカシの手を離すとちっと舌打ちした。
「あーそーですか。カカシさんの頭の中は任務任務。それしかないんですね。じゃああんた、任務で死ねって言われたら死ぬんですか? ああそうですか、死ぬんですね!」
 べーと舌を出してイルカは再びベッドに突っ伏した。
 撮影は、順調に進んだ。一度カカシに馬鹿にされてから、まさしく忍の一文字でイルカは渾身の力で演じきった。
 そしてとうとう明日明後日で最後のシーンを撮影して、終了。任務は佳境に突入していた。
「イルカ先生。最後の一踏ん張りですよ。NG出したくないでしょ。さっさと撮影終えたいでしょ」
 つんつんとカカシに背をつつかれる。
 イルカはその手を弾いて、カカシに牙をむいた。
「だって!!! おかしいですよ! あの脚本、80%が濡れ場ですよ! 普通のシーンの撮影が一日で終わって、どうして明日明後日ほとんどみっちりのスケジュールで濡れ場を演じないといけないんですかあああああああ」
 イルカの叫びにカカシは耳を塞ぐ。
 そうなのだ。イルカ的にあり得ないことに、普通のシーンは一日で撮り終わった。カカシとのむにゃむにゃなシーンがないからイルカもなんとか演じきることができたのだ。だが問題は残りのシーンだ。
 明日明後日はいろんなシチュエーションでの濡れ場とやらを延々と演じ続けなければならない。
「仕方ないでしょう。そうゆう趣旨の話なんですから。いいですか? 腐女子だちにとってはあのシーンはただの濡れ場じゃあないんです。相容れないはずの二人が体を通じて語り合うんですよ。ただのエロじゃないんです。なくてはならないシーンなんです」
「んなわけあるかー! みんなエロが見たいだけじゃないですかあ! 女なんてっ。ふふふ、腐女子なんてっ。不潔だ! 嫌いだっ!」
「余談ですがカカイル子さんのサークルは超大手ですよ。イベント会場では列が遙か彼方の山の向こうまで続いたって伝説があります」
「ストーリーなんてないって言ってもいいくらいのエロばっかりなのに!」
「ま、そうゆうもんです。ストーリーなんかなくたってそうい話が受けるんですよ。まあ俺は個人的に言えばちゃんとスト―リーがあるほうが好きです。エロも過剰すぎるとなんだかなーって逆に冷めちゃうかな」
 カカシは頷くがイルカは目眩を覚える。世の中どうかしている。まったくもってわからない。カカイル子は美人だ。妄想の世界ではなくて現実の世界に生きればいいのに。
「はいはい。喚くのはそのくらいにね。さっさと練習しますよ。はい『あんv』って喘いでみて」
 カカシがスパルタ教師のように手を叩く。
 イルカは涙と鼻水で濡れた顔でやけくそで叫んだ。
「あん!」
 それはまさに遠吠え。負け犬の、遠吠え。カカシは引きつった顔でイルカの頭をぽかりと叩いた。
「なんですかそれは。犬が吠えてるんじゃないんですよ」
「あんあんあん!」
 やけくそで叫ぶ。カカシはひくりと頬を引きつらせたが、ふっと肩の力を抜くと、イルカの横にしゃがんで、にこりと笑った。
「わかりました。俺がお手本示しますから、真似してくださいね」
 と言うやいなや、イルカの耳に近づくカカシの口。

「………………」

 イルカは、床の上で背中を丸める。不覚にも、大事なところが元気になりかける。耳に吹き込まれたカカシのエロ声のせいで。
「どうですかイルカ先生。わかった? 喘ぎっていうのは今聞かせてあげたのですよ〜」
「カカシ先生……」
 イルカはゆらりと首だけ振り向いてカカシを睨む。
「あんた、もしかして、本当に本当は、そっち系の人ですか?」
「いいえ〜。俺は攻めです。でも男だってよけりゃあ喘ぐでしょ」
「男は気持ちよくても歯を食いしばれっ」
 カカシはイルカの発言に目をぱちぱちと瞬かせる。
「え? イルカ先生ってばいつもそんなど根性セックスしてるの?」
 カカシが無防備に聞いてくるからイルカは面食らう。内心の動揺を隠しつつ、横を向いて言葉を重ねた。
「さ、最近はご無沙汰ですけど、そうですよ! それがどうかしましたか?」
 まじまじと見つめられ、イルカはますます頬を膨らます。
 何を言われるのか構えていたイルカだったが、カカシは笑顔を見せただけだった。
「とりあえず、喘ぎ声初級くらいは練習しておきましょ。ね」
 優しく提案されて、つい頷いてしまうイルカなのだった。



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