大好きな、先生







「おっちゃーん、とんこつチャーシュー麺、大盛り二丁だってばよ!」
 ナルトは暖簾をくぐるやいなや元気いっぱいの声をあげた。
 あいよ! とナルトに負けず元気に答えるのは昔から馴染みの親父さんではなく、親父さんの跡を継いだアヤメちゃんの婿のメンタだ。
 親父さんはめっきり腰が弱くなった。今も傍らの椅子に座っている。だがしかし、きらりと瞳は一閃、メンタの麺の茹で方には目を光らせていた。
 親父さんに見込まれただけありメンタの腕もたいしたものなのだが、親父さんと比べたら酷というものだ。
 イルカは親父さんにぺこりと頭を下げると、昔からのカウンターの定位置にナルトと並んで腰をおろす。テーブル席にいた幾人かの客が二人をみとめて挨拶を寄越した。
 ほっとこぼれるイルカの吐息には安堵があった。アカデミー教員になった頃から通い続けている店だ。いつからか誰かと寄ることも増えて、生徒の中ではナルトに一番奢ってやったものだ。
 ナルトがアカデミーを卒業して、あれから15年近くの歳月が経とうとしていた。
「しっかしなんでいつまで経ってもお前ぇに奢らなきゃいけねえんだよ。お前ぇ火影になるんだぞ? 里の最高権力者だぞ? 俺は三代目に奢ってもらったことはあっても奢らされたことなんかねえぞ」
「だーってイルカ先生はずーっとイルカ先生だってばよ。俺が火影でもなんでもイルカ先生は俺の先生。先生が生徒に奢らせるなんてダメだってばよ」
「恩師に報いるって発想はねえのかよ」
「ない!」
 笑顔で悪びれずに言われてしまってはイルカはもう返す言葉もない。しぶしぶの態を装い、餃子二人前も注文してやればナルトは素直にはしゃぐ。
 ナルトに言うと調子になるから言わないが、本心ではイルカは嬉しいのだ。火影になることが決まってもナルトは昔と変わることなく暇を見つけてはイルカの元を訪れて話をしたり、一楽に連れて行けとねだったりしてきた。
 もちろん多忙な今はこうして二人きりで一楽に来れるのもめったにないことだった。
 出来上がったラーメンと餃子をしばし二人無言で堪能する。
 やっぱり一楽のラーメンが最高だとナルトはご機嫌だ。その笑顔はいつまで経っても無邪気で、イルカの生徒だった頃から変わらない。
 すっかり大人になったナルトはもう二十代後半だ。
 明日火影になり、秋にはヒナトとの結婚も決まっている立派な大人だ。
 それでも、どんなに時が経っても、顔の輪郭が鋭くなって、声も低くなっても、イルカにとってナルトはかけがえのない生徒だ。いつまでも子供のままのような気がしてしまう。
「なんだよイルカ先生。俺の顔に何かついてるのか?」
 じっとナルトを見つめれば、ナルトが心なし照れくさそうに口を尖らせる。イルカは慌てて顔を背けた。
「ちょっと昔を思い出してたんだよ。とうとうお前ぇが火影になるのかと思うと、月日が経つのは早いよなって」
「うわっ、イルカ先生じじくせーってばよ」
「うるせっ。じじいで悪かったな」
 頭を小突けばナルトはくすぐったそうに笑う。
「俺ってば、やればできるこだからな。火影になるっていったら絶対なるに決まってるってばよ」
 ナルトはなんでもないことのように軽口に紛らせて言うが、実際、誰にも見向きのされない頃から火影になると言い続け里の皆に認めさせたのだ。
 立派だと思う。
 教師である者が生徒に順列をつけるなどもってのほかかもしれないが、ナルトはイルカにとって一番といえる生徒だった。教師となって二十年近い歳月が経つが、その中での一番だ。まあ、さまざまな意味で、と注釈がつくのがナルトらしくてイルカは内心で苦笑してしまうのだが。
 互いの日常のことをラーメンをすすって餃子を食べながら語れば、結構な時間が過ぎていた。一楽店内には入れ替わり立ち代わり里の者がより、ナルトの姿を目にとめると祝いの言葉を述べ、ナルトはそのひとつひとつに律儀に応えていた。
 結局店が閉まる頃までいてしまい、明日しっかりな、と親父さんに送り出された。

 里の通りはどことなく静けさに満ちていた。大きな災厄を乗り越えて、新しい次の世代の火影が誕生するのだ。それを静かに待っている。
「こんな遅い時間まで悪かったな」
「ぜーんぜん。昼からだし、よゆーよゆー」
「お前ぇ、寝起きの悪さが治ってねえだろ。ヒナタが言ってたぞ」
「昼まで寝ないってばよ! てか、ヒナタ、なにイルカ先生にちくってんだってばよ」
「やっぱり治ってないんだな」
 ナルトは手を振り上げてむくれるが、イルカはおかしくて、昔のように、ナルトの麦色の髪に手を伸ばし、その手が下ではなくて、上に向けられたことに、ふと手を止めてしまう。さりげなく手を戻し、少し強く握りしめる。
 ナルトはとっくにイルカの身長を追い越していた。
 そんなこと知っている。そのことが嬉しいのは当然だが、心の奥がせつなく締め付けられるのもまた事実だった。
「なあ、ナルト」
「ん〜」
 イルカのことを少し見下ろして笑うナルト。
 イルカの自慢の生徒。一番の生徒。
 火影として里を背負うことになるナルトにかけたい言葉があるのに、それがうまくでてこない。もどかしくて、イルカは口をつぐんでしまう。
 言葉を続けようとしないイルカをおいて、ナルトは歩みを再開する。
 イルカの少し前を、まるで先導するようにナルトが歩く。
「……明日、晴れるなきっと。星がよく見える」
「俺の日頃のおこないだってばよ」
 師弟が見上げる夜空には星が流れた。まるでナルトの火影就任をことほぐように、美しく、流れた。イルカはほっと息をついた。
「しっかし偶然とは言え、俺の誕生日がお前ぇの火影就任式の日に決まるなんてなあ。ちょっと嬉しいかな」
「偶然じゃないってばよ」
「へ?」
「だから、偶然じゃなくて、この日がいいって、俺が決めた」
 ナルトはくるりと振り返ると、呆気にとられるイルカにいたずらをきめた時のように笑った。
「俺の火影就任日とイルカ先生の誕生日が同じ日なんてさ、めちゃくちゃ嬉しいじゃん。この先ずーっと一緒にお祝いできるってばよ!」
 イルカは言葉に詰まった。ただ食い入るようにナルトを見る。
「俺さ、俺さ、たっくさんの人と出会って、ここまでこれた。みんな大事だから、守りたいから、火影になる」
 決意表明のようにナルトは力強く告げた。
「出会えた人みーんなかけがえのない人たちばかりでさ、でもさ、でもさ、俺のことを最初に認めてくれたのはイルカ先生でさ、それからイルカ先生より強い先生たちにたくさん出会ったけど、でも、俺にとって一番で大好きな先生は、イルカ先生だってばよ!」
 真っ直ぐなナルトの言葉はイルカの胸を貫いた。
「俺のことを、イルカ先生が最初に認めてくれた。イルカ先生が俺を認めてくれなかったら、俺、火影になれてなかったかも、しれないっ」
 笑っているのに、ナルトの目の奥は潤んでいた。
「そんな、こと……」
 そんなことない。
 イルカの存在がなくたって、ナルトは自分の進むべき道を見つけたはずだ。火影になったはずだ。
 そう言ってやりたいのに、イルカは歯を食いしばって、溢れそうになる涙を堪えて、ナルトを見つめた。
 師弟は黙ったまま互いを見た。
「イルカ先生、俺、火影就任祝いにルカ先生から欲しいものがあるんだけど」
「っ、なんだよ。安月給なんだからな、高いものはやれねえぞ」
 イルカの言葉にうっそりと笑ったナルトは、手を、差し出してきた。
「額当てが、欲しい。イルカ先生の額当て」
 意外な言葉にイルカは目を見張った。
「それは、ずっと前に」
「うん。だから、もうひとつ。俺の子供が忍になった時にあげるってばよ」
「そんな、そんなの……」
「イルカ先生のがいいんだ」
 ナルトの目の奥には光があった。子供の頃と同じ光が。
 イルカは黙って額当てを外した。服の袖でできる限り綺麗に拭いてから、ナルトに渡した。
「こんなんでいいのか? 欲がねえなあ」
「これがいいんだってばよ」
 神妙な顔をしたナルトは額当てをしばし見つめてから強く握りしめて、笑った。
「じゃあイルカ先生、明日。カカシ先生にもよろしくな!」
 大きく手を振って、ナルトは去って行った。

「迎えに来ましたよイルカさん」
 どれくらいそこにいただろう。
 イルカの背後に立ったカカシが、そっとイルカの肩に手を回してきた。
 イルカが振り返ると、カカシはにっこりと笑う。
 火影の地位をナルトに譲ることになり、忍としても一線から退くことを決めたカカシは最近ではよく素顔をさらしている。年を重ねても口元のほくろが妙に色っぽかった。
 火影を退いたカカシとイルカは、やっと一緒に住み始めた。もうとうに恋仲の二人であったが、けじめとして、生活を別にしていたのだ。
 里の前線ではなく後方で見守る立場になって初めて二人は互いの気持ちを優先させることができた。
「カカシさん、手、繋いで帰りませんか?」
「い〜いですよ〜」
 イルカの差し出した手を笑顔のカカシが強く握り返してきた。大きなかさついた男の手だ。
 誰より愛しい男の手だ。
「40を過ぎた男同士が手を繋いで帰るなんて、乙なもんですね〜」
 カカシは何も聞いてこない。
 何故イルカが泣いていたのか、勘のいい男のことだからなんとなく察しているだろうに、黙っていてくれている。
 里屈指の高名な上忍とナルトを通じて親しくなり、いつの頃からか敬愛以上の気持ちを持ち、それを受け入れてもらえて今がある。
 里に生まれ、ナルトと出会えたこともカカシと愛し合えたことも、イルカをとりまくすべてが奇跡の連続だ。
「ねえカカシさん、ナルトが火影に就任して、事後処理とか全部片付いたら、少し長く旅行に行きませんか?」
「いいですねえ。イルカさんの好きな温泉行きましょうよ、温泉」
「はい」
 幸せだ。なんて、幸せなんだろう。

 明日、イルカのいとし子は、夢を叶えるのだ。





                    

おしまい